May 01, 2017

音楽の感じ方は相対的なもの

ボンのベートーベンハウスは観光地としては有名だが、そこに小ホールがあって定期的に良質な室内楽コンサートが行われていることは知られていないようである。このホールは席数は200ぐらいの小さなものだが、天井が10m近くあるすり鉢状で、ステージはその一番底の、観客席と同じレベルにある。一番前の席に座ると演奏者までの距離は2mぐらいしかないのではないか。非常にインティメートな(親密感のある)空間で、音も適度なライブ感があり、妙な共振ピークもない。いいホールである。

先週の金曜日のコンサートに行ったのだが、その内容が非常に興味深かった。楽しめた、とは一概にいえないのだけど(苦笑)。というのも、このコンサートの前半で、ドイツ人作曲家ニコラウス・ブラス(Nikolaus Brass)の弦楽四重奏と2台のクラリネットによる作品が披露されたのだが・・・これが形容のしようがない凄い音楽だった。本体が共振しない周波数で強奏する2台のクラリネットがまるで猫の喧嘩のような音を出して耳がビーンとなったところに、弦楽器がまったく調和しない音のうねりを重ねる。正直、脳がこの音を処理するのを拒否するような感覚で、気持ち悪さで体温がぐっと上がる。と、思ったら今度はクラリネットはドロドロ・モゴモゴとした地底の底で蠢くカエルような音を出し、そこに弦楽器から超高音のこすり音を・・といった具合である。素朴な疑問だが、何が楽譜に書いてあるとあんな音楽になるのだろう?

この曲の前と後がモーツァルトとメンデルスゾーンの耳当たりのいい音楽で挟まれていたのは、おそらく観客への配慮だと思う。

だが・・・驚いたのはここからである。後半のプログラムの1曲目はリゲティの弦楽四重奏曲1番だった。これもまた現代音楽の部類の非常にキツイもので、普段好んで聞くはずのないものだ。しかし・・・これがブラスの音楽に比べたら全然普通に音楽として受け入れられたのである。非常に楽しめた。自分でもびっくり。

そして、次がベートーベンの、2台のホルンと弦楽四重奏による六重奏曲op.81bをクラリネットで演奏したものだったのだが、この曲が安心感とともに非常につまらなく聴こえてしまった。実際、この曲はベートーベンの後期作品としてはかなり古典的な手法によるものだとは思うが、ベートーベンがこれほどつまらないと感じたのは初めてだった。

最後にアンコールで一曲・・・なんと、それがブラスの曲の短い最終楽章だったのである。観客はみなゲッ、と思ったに違いない。しかし・・・なんと初めての時とは違い、その音楽を、ある程度脳が許容するのである。またまた、自分でもびっくりした。

ブラスは観客席におり、自作発表の前にその背景を語っていた。すべてを理解できたわけではないが、その趣旨はこうだった。「モダンな音楽とは時とともに変わるもので、音楽はあなた方の頭の中で鳴るもの。一曲目のモーツアルトのディヴェルティメント風の曲だって、当時のウィーンでは音が多すぎて神経に障ると言われたのである。今を生きている芸術家は、前に進まなければならない。これでいいのかどうか私にもわからないが、この曲でわたしは「楽器のもつ自然さ」をできるかぎり表現してみた。もしかしたら、あなたがたがそれを気に入るかもしれない。」

このコンサートのプログラムを終えて、そのブラスの言葉の真意をかなり理解できたと思う。結局音楽は聴いて自分の頭の中でどう感じるかであり、その感じ方というのは相対的なものなのだ。初めて聞いた時に拒否感を持つような音楽でも、それを体験し、慣れると許容できるようになる。時代時代の作曲家は聴衆の頭の中の感覚を広げる作業を繰り返してきたのだ。そうやって音楽は進歩し、受け入れられる音楽も変わっていく・・・。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 01, 2017

2017

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

ここ数年、年末/新年にひとことだけ、個人的なことを書くようになった。
一年前に書いたことを読み返すと、その年が自分にとってどういう年だったかがわかるから・・・。昨年は一年前に宣言していた、”寛容な心で、希望をもって、喜びを感じながらのんびりと過ごそう”が達成できていたとは到底言えない。ネガティブスパイラルに何度も吸い込まれそうになりながら、なんとか踏みとどまる・・・の繰り返しだった。いや、もう吸い込まれたのかも、とも思う。

とはいえ、実質にことさら問題があるわけではないのである。基本的に家族は健康で、寝食に大きく困らず、仕事も自分の能力以上に評価されている。本当に恵まれている。なのに・・・心の中はネガティブスパイラル。投げやり。余裕がなく、目の前のことをこなすのが精いっぱい。どうして??

世界の状況は未来に希望を持つことを難しくしていることは事実だが、歴史的に見ても、今がそんなに悪い時代とは思えない。悪くなっていく時代に共通する、いくつかの特徴が見えているだけに過ぎない。

自分には現状に満足する術が必要だ。そのカギは、未来や過去に強い意識を置かないこと、にありそう。年を取るにつれ、どんどん意識の時間的広がりが大きくなっている。しかも、「そうならなかった未来」、「そうであるべきだった過去」いわゆるパラレルワールドの方にも広がっていってる。

おぼろげながらに未来の方に意識は置くが、それ以上は現在から離れずに暮らしていくこと。それが大切なのだろうと思う。今年はそう思って過ごしていこう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 31, 2015

2016

年が明ける。
この一年、長かった。そして、瞬く間に過ぎた。この相反する感慨を持つ人は多いような気がする。
昨年の新年エントリーでこのように書いた。

昨年中は「世界の疲れ」を感じながら過ぎていった。自分自身もそうだけど、みんな疲れて、周りが見えない状態になっている。本当に大切なものはなんなのか考える前に、一度立ち止まり、一服して、そして周りを見渡すこと、それがまず必要なんじゃないかな。そういう年にしたいな。

しかし、立ち止まることが許されないような日々が過ぎていった。そして、疲れが、「焦り」や「偏狭」や「あきらめ」そして「怒り」に転化しつつあるように思う。これは、他人事ではなく、自分の中でも起こっている。今年は寛容な心で、希望をもって、喜びを感じながらのんびりと過ごそう。そう常に思っていないと、ネガティブスパイラルに吸い込まれる。

年が明ける花火の音に、爆弾の爆発音や銃声が混じることがないことを、切に願う。そういう音は花火だけでたくさんだ。世界中、どこでも、いつでも、誰も、心のどこかでびくびくしながら生きることがないようになって欲しい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 20, 2015

音楽もインプット

今、ドイツにシリアからの難民が10万人単位で押し寄せている。ドイツは自らの理念を全うするために、難民を全力で受け入れようとしている。ものすごいことだ。彼らをうまく労働力として活用できればこの危機をプラスに転換できるという側面もある。国内世論の大きな部分はこの政府の姿勢を本心から良しとしている。それもすごいことだ。ドイツ人は理念主導で動くことができることに驚かされる。稀有な国民性だ。

しかし、理念はともかく、この物量の前にはいかんともしがたいものがある。ということで何とかEUの他の国にも負担を分かち合ってもらおうと説得に回っているが、ギリシャ問題の時よりも難航している。ギリシャのときは「お金」という、ある意味「現実ではないもの」-投資者が買う国債を保証するのみですむ-が対象だったから他の国は「ドイツが保証する」ならば乗れたということなんだそうだ。しかし、今回のことは現実の負担だから、誰も積極的には助けてはくれない。この孤立無援の状況は、国内世論の不満爆発からドイツのEU離脱やEUの崩壊につながりかねないと思う。その過程で外国人排斥の動きが活発化する可能性を懸念している。ドイツに住むいち外国人としては、無関心ではいられない問題だ。

日本は安保法案のことで凄い騒ぎになっているようだけど・・・・日本はたぶん、すごく幸せな国なんだなと思う。その幸せが続くためにどうするべきか、良く考える契機になればいいと願う。

・・・久しぶりにまじめな話を書いてしまった。閑話休題。
TIDALの音楽配信は音楽の聴き方を根本的に変えてしまった。聴きたいものが山ほどあるのだが、物理的に聴ききれない。もどかしい。というのも、TIDALは音がいいから「ながら聴き」ができないのである。ついつい音楽に聞き入ってしまい手が止まってしまう。また、本気で聴ける音楽の総量には限界がある。これは自分だけのことかもしれないが、聞いた後、それを処理するのに頭がフル稼働状態になる。ある程度以上になると、睡眠や仕事への影響が出てしまう。

そして、Apple Musicを聴く時とは違い、iPadとBose QC20i、Libratone ZIPPの限界が気になって仕方がない。もっとちゃんと聴きたいという欲求が出る。それらが出す音は悪い音じゃないのだけど、秋になって好調のメインシステムが出す音と一対一で比べるのは酷な話だ。

その状況ではTIDALで聴いてよかった音源のCDを買うという、新たな動きが出るのは当然のことだ・・・。そして、もっといいミュージックプレーヤー、ヘッドホン、DACが欲しい!TIDALをメインシステムで聴きたい!と思う。Appleのコンフォートなエコシステムから一歩踏み出すと、こういうことになる。

もう一つのもどかしいことは、クラシック音楽において、Apple Musicのライブラリの方が少しTIDALよりも充実しているということだ。また、TIDALは検索機能に少し不備が感じられ、目的のものがちゃんとリストアップされないという感覚がある。曲名検索があまり機能しないし、アーティストがたとえば、「ヒラリー・ハーン」と「ヒラリー・ハーン&ベルリン・フィル」が別になったりする・・・。

とはいえ、現実的に困ることはほとんどない。Apple Musicで聴いてよかった、ザビーネマイヤー&アルバンベルクSQのブラームスのクラリネット協奏曲がTIDALになかった(他のアルバンベルクSQのアルバムはほとんど全部あるのにな・・何故だろう)ので、同曲を含む4つのアルバムをダウンロードして聴き比べて、それぞれの良さを確認しながらシフリン/エマーソンSQ盤を愛聴盤として残す。その上でそれをCDでも注文、みたいな・・・・。そんなことが個人レベルできたことは、いまだかつてなかった。クラシック音楽好きにとっては、音楽配信は夢のようなシステムだと思う。

とにかく、本当にストリーマーかDACが必要だ。そのためにも、まずは仕事を一段落させないと。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 01, 2015

2015

2015年といえば、SFの世界ではもう立派な近未来だ。
しかし、人類は火星にすら到達していない。
一方では、SFが描く負の側面-パンデミック、放射能汚染、優生主義あるいは人工知能の脅威は現実となってきている。それらが制御不能な、とんでもない事態に至っていないのが奇跡なぐらいだ。やはりこの世界はヴァーチャルな世界なのだろうか。何らかの「外側」にいる存在がコントロールしているように感じる。もしそうなら、その存在に言いたい。このあたりで人類の欲望パラメーターを調整して、進歩拡大から後退維持へと向かわせないと破綻するぞ、と。

昨年中は「世界の疲れ」を感じながら過ぎていった。自分自身もそうだけど、みんな疲れて、周りが見えない状態になっている。本当に大切なものはなんなのか考える前に、一度立ち止まり、一服して、そして周りを見渡すこと、それがまず必要なんじゃないかな。そういう年にしたいな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 14, 2014

ワールドカップもダービーも過ぎ去り・・・

そこかしこから、4度目のワールドカップ獲得を祝う花火とクラクションの音が聞こえている。
素晴らしい試合だった。
アルゼンチンの玉際の強さとドイツの正確なパス、位置取りに見とれた。双方が死力を尽くしていた。75分まではまったくの互角だった。しかし・・・・やはりアルゼンチンは最後まで走りきれなかった。アルゼンチンにあったチャンスは120分で2回。その2回を防いだのは、ノイアーのプレッシャー。あの刹那、イグアインの目には仁王像が立ちはだかるように見えたに違いない・・・。

ワールドカップが終わって、シビアでフェアな戦いだったなぁというのが率直な感想。
結局は、代表チームの、いやその国のサッカー全体の経験値・成熟度が勝負を決めるんだな・・・と思った。
それを凄く感じたのは、ベルギーやコロンビアが準々決勝で見せたプレーだった。何か浮ついて、勝負どころでは力が入りすぎる・・・・縮こまって、ビビッていた。一つ一つの判断が遅く、コンマ何秒かだけど躊躇する。その前の試合では伸び伸び、素晴らしいプレーをしていたのに。

で・・・そういうプレーをグループリーグで既に見せていたのが日本代表だったんだなぁ、とそれを見てようやく気づいた。

パーフェクトにプレーしなければ勝てないというプレッシャーがかかった「場」では普通にプレーなんかできないのだ。
だから、グループリーグ突破が確信をもった前提でないチームは、グループリーグでは余裕をもってプレーできない。
4強進出がそうでないチームは、準々決勝では伸び伸びプレーできない。
普通にプレーできない状態で勝つには、よほどの運や実力差が必要。

結局4強に進んだのは、あぁ、そうだろうなという面々だった。これはもう歴史的な経験値の違いとしか言いようがない。彼らは準々決勝でも普通に、勝利に向けて集中してプレーできていた。4強までは淡々とプロセスを踏むような心境でなければ、そこには到達できないのだった。

最後はチーム全体の成熟度でドイツが他を上回った。2006年から8年間で積み上げてきたものが、地の利のビハインドを跳ね返した。一方、ホスト国ブラジルにとっては、自国ワールドカップが来るのが4年、早すぎたという感じがする。

日本にはまだまだ時間が必要ということか。とりあえず16強は前提、8強にもたびたび進めるようになって初めて、優勝を現実味を持って言えるんだろうと思う。個々のプレーヤーの質や監督の力で実現できる範囲は8強までだろう。

閑話休題。

サッカーに気を取られているうちに、ドイツダービー終わってました(汗)。
勝ったSea the Moonのパフォーマンスにドイツ競馬界はにぎわってますな。クルーク調教師の大躍進とともに、ドイツ競馬の新たな潮流が・・・と言いたいところだけど、Sea the Moonのレース振りは正直、感心しないなぁ。左によれる癖を見越して逃げから大外にぶっ飛んで行く・・・それで11馬身空けるんだから凄いんだけど、なんというか、他馬が不甲斐なさすぎの感あり。タイムも良馬場で自分でレース作ったわりには平凡な感じだし。

彼の叔父のSamumも斜行癖があって(彼は右にすっ飛んでいく)、左回りのバーデン大賞では直線で伝説のジェット噴射カットして物議をかもした。そのバーデンでSea the Moonはどういうパフォーマンスを見せるだろう。大外に行って、そこから全馬の前を横切るという、Samumの逆バージョンが見られるかも(゚ー゚;。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 25, 2014

日本らしく

日本代表、見事に負けました・・・・。
でもこの試合はそれなりに走れていたし、選手たちは少しはやりたいことができたんじゃないか。
結局、相手の最終ラインが強かったということ。多少の運が必要だった。前半で2点取れなかった時点で勝負が決まっていた。

代表のみんな、いろいろと言われて大変だなぁ。
とりあえずゆっくり休んで、自分のことをちゃんとケアしてあげてほしいと思う。

彼らを非難しても何も始まらない。
最終的には、日本サッカーのレベルの問題なのだから・・・・国内で小さいときからやっていることが、積み重なったものが一番上に現れるだけだ。優秀な監督呼んでも、ぱっと集まって、数週間しかない準備期間で、今までやってなかったことができるはずがない。国外のリーグに行った選手だって、結局は日本のサッカーをそこでするだけなんだ。急に外国人にはなれない。日本人としてレベルが上がるだけ。

だから、小さい子のサッカーとJリーグをちゃんと盛り上げていくことが一番大事。それは本当の意味でのサポーターの力でもある。他は瑣末なこと。

今回もちゃんと次に繋がったと思う。生きているうちに、一度は決勝まで進んで欲しいなぁ。どんな気持ちになるのか想像もつかないけど。そんなことを思う。

(追記)
ザックの言動を見ると・・・・彼は本当に日本の文化を尊重していたんだな、と思う。勝負を超えた何かを追い求めることを許容していた。究極まで現実的に勝負にこだわることを良しとしない、そういう文化が日本にはある。それを求めながら、それでも勝つには、よほどの実力差がなければならない。そうでない場合、どうするのか。これは、サッカーだけの問題ではない。どんなことでも、世界との競争に晒されたとき、日本人が突きつけられる命題だ。「勝てなければ意味がない」という文言に反感を覚える日本人は多いはずだが、今の世知辛い世界ではそれに真っ向から反論することは、難しい。

「勝つこと」が代表チームの務めなら、ザックは(結果論的にも)代表監督として失格だ。しかし、「国を代表する」ことが代表チームの務めならば・・・彼以上の監督をみつけるのは難しい気がする。そんなことを考えるのって、変かな?

| | Comments (2) | TrackBack (0)

June 22, 2014

ドイツ対ガーナ

昨日の試合はものすごく面白かった。
ドイツがガーナにめちゃめちゃ苦しんで・・・・総合力で何とか引き分けに持ち込んだと言う試合だった。

この試合は、日本-コートジボワールとものすごく似た試合だった。その相似が、日本とドイツの差を明確にしたという感じがする。

ドイツも高い湿度とゆるいピッチでスピードが出なかった。攻撃陣のスピードが相手の守備陣に負けるから、ボールは保持できても、前にフィードすると取られてしまって・・・・という、日本と同じパターンに嵌った。逆にドイツ守備陣は完全に相手FWにスピード負け。カウンターになると抜かれる。それでも下がらずにラインを上げて対処していたのが凄いと思う。

似ていたのは、そんな中からある意味幸運に先に点を取れたというところ。そして、その刹那、急に守備的な意識がチームに蔓延してラインが下がり、一気に逆転されてしまったところだ。スピードのある相手にラインを下げるのはこれほど危険だとはね・・。

ここで、ヨーギ・レーヴはシュバインシュタイガーとクローゼを入れた。これも、ザックが遠藤と大久保を入れたのと相似。選手のタイプも驚くべき相似。だが、決定的に違っていたのはレーヴは2人を同時に入れて、チーム全体のスイッチを入れ替えたってことだ。その結果、その2人の活躍ですぐに追いつくことができた。追いつけたら、チーム全体の勇気とコンパクトさが回復。逆にガーナはガックリして足が止まってしまった。後は、もう、戦略もなにもない死闘。ガーナのスピードとドイツの精度の戦い。ガーナの詰めの甘さにも助けられて、なんとかしのぎきる事ができた。日本戦のときのように雨が降ったりしなかったのも良かった。

この試合、ドイツのレーヴとチームの経験値の高さには感心させられた。そこが日本チームとの決定的な違い。ザックだって、後4年続けたらレーヴのように確信を持って采配を振るえるようになるだろう。そしてチームも監督の意図に即座に反応するようになる。ザックジャパンは本当の戦いは今回が初めてだと言うことなんじゃないかなぁ・・・・もし一次リーグで敗退するようなことがあっても、ザックジャパンをもうちょっと続けて欲しいと個人的には思う。世界で戦うためのチーム力を熟成するのに必要なのは経験と時間だと、昨日のドイツを見て思った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 20, 2014

ワールドカップですな

夏が一気に来たかと思えば、ここのところ肌寒い日々になっている。
ドイツはワールドカップ一色。明日、勝ったらもっと盛り上がってくるんだろうなぁ。

で・・・・日本代表は苦しんでます。でも、それでも、想定されるものよりそう悪い成績だとは思わない。頑張っていると思う。確かに代表の選手のレベルは上がっているけど、それは他のチームに遜色がないというレベルに達したということでしかないのだし。大概のチームが少なくともトップリーグのチームでレギュラーを張っている選手だけで構成されている。その中で日本が勝つことは簡単ではない、それがまず前提だと思う。

ただ、今回、選手は本当に困っているように見える。パフォーマンスが上がらない状況に対して、コンディションのこととか戦略面のこと、しまいには精神論に至るまでいろいろな批判が飛び交っている。が・・・私はもっと単純で根本的な理由があると思っている。

結局、走れてない。
スピードで勝つはずなのに、それができていない。

で・・・・この感じ、どこかで見たことがあるなぁと思っていたんだが、ようやくそれが何かわかった。それは日本馬が海外で発走して、惨敗する時の感じだ。普通に走っているように見えて、実はついていくのがやっとのアップアップした状態で、直線に向いたときはもう余力がまったくない。そういうやつ。

馬場が合わない。馬場が重い。

それが今回の、日本が走れていない原因じゃないかと思う。
ピッチの質が違う。しかも雨季で柔らかく、粘っこい。エッジが利かないから、小回りが利かない。しっかり踏まないと進まない。だからすぐに疲れる。疲れたら頭も働かないし、勝負どころで行けない。

しかも、2試合とも試合中に雨が降って、小手先も利かなくなった。それはみんな同じ、っていうけれど、それのパフォーマンスに対する影響は同じじゃない。

日本の快速馬が府中では勝てても、アスコットでは勝てないのと同じ。レベルの問題じゃない。慣れと、パワー。スペインの惨敗も同じ理由だと思う。

極論すれば、ブラジルは日本にとって超アウェイな土地だと言うことだ。時差だって2週間やそこらで完全には合わない。95%にはなっても100%ではない。世界レベルでは、その5%が勝負を決める。

たぶん、だけど、優勝カップは南米のチームが取るだろう。ドイツも、決勝トーナメントで疲れが溜まってきたら苦しくなってくるんじゃないかなぁ・・・。地の利はじわじわと利いてくると思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 01, 2014

ハーツクライ

近年は春にじめじめと寒いことが多かったのだが、今年の春は総じて良い気候が続いている。
しかし・・・なぜかわからないんだけど、こんなふうに陽の気が上昇する気候になると、口内炎ができたりして体調がすぐれない。これは日本にいたときからそう。体が陰陽のバランスを取ろうとして起こる問題らしいんだが・・・・。その時期は一年のうちでも忙しい時期に重なるものだから、苦しい。

そんなこんなで大概、このあたりでブログの更新が途絶えてしまう。スキージャンパーたちは休みだし、ドイツ競馬はフォローしてないし・・・・ということで話題がないということもあるけど。それにしても日本競馬では、ハーツクライが大爆発してますなぁ。4世代目での大爆発ということから、産駒の出来の良さが生産地レベルでの何らかの「ブーム」を起こしているんじゃないかと思う。スーパースター、ディープインパクトと同時に種牡馬入りしたから、最初は最高の牝馬は全部持っていかれてしまっていたであろう。血統構成的にもディープとハーツクライはかなり似ているから、なおさらだ。それが・・・世代を経るにつれて、いい肌馬にハーツを付ける生産者が増えたのではないか?

単なる印象、なんだけど、配合も含めて完璧な馬は種牡馬としては自分を超える子供を出さない気がする。どちらかというと、どこか欠点のある馬の方が可能性を秘めている。ハーツクライは足の外向と喉鳴りという二つの欠点がありながら、ディープインパクトに土をつけた馬。可能性のレベルは非常に高かったのだろう。しかしながら、初世代の産駒の少なさは、生産者的にもその二つの欠点が忌避されていたことを示している。その忌避感はすでに消えた。これからは、種牡馬としてもディープとガチンコ勝負していくのだろう。

| | TrackBack (0)

より以前の記事一覧