June 05, 2017

ハイレゾ

5月初旬まではものすごく寒かったのに、このところ急に気温が上がり夏のような気候になっている。寒気と暖気が当たって各地で雷雲が発生し、雷、集中豪雨、突風、雹。この感じは日本も同じだそうだ。地球規模で熱の流れがおかしくなっているんだろう。

久しぶりにオーディオのことを書いてみたい。アンプの真空管をEL34に換えてからは、家のオーディオシステムの音におおむね満足できている。面白いことに、家の音が良くなるとスマホで音楽を聴かなくなった。その音が嫌いになったわけじゃないのだが、それを聴くことで音楽を聴くためのキャパシティーを消費したくないのである。

ただ、そうなるとスマホやiPadで聴きなじんだTIDALの音源を聴かなくなってしまうことになる。それらを自宅システムでも聴きたいという欲求が高まり、ついにSSDを入れた専用パソコン+Roon+USB-DAC/ヘッドホンアンプを導入することを決意。しかし、ULTRA DACとかDAVEとかe32とかはどう逆立ちしても買えないので、限られたお金で贖える範囲で、クオリティ面で妥協せず、しかも後々までつぶしが効くようなものは何かを必死で考えた。結局、民生用ではなくプロユースのあるDACを選んだ。

そのDACの出す音は、鳴らし始めから品位と情報量は充分に高く、それらの点では満足だった。ただ、エージングが進んでも音の生気というか躍動感が出ず、静的な表現にとどまった。ドライブを定評のある850EVO/500GBに換装したとはいえ、普通のノートパソコンをトランスポートとしてストリーミング音源を鳴らしているのだし、こんなものかと思っていた。しかし、CreekのCDプレーヤーから光ケーブルでデジタル入力してもその印象は変わらなかった。これはソースの問題ではなく、DACの問題のような気がした。

プロ機は根本的な性能に妥協はないが、民生用とは違って配慮が行き届かないところがある。電源はその最たるもので、標準はいわゆる普通の12VのACアダプターだ。これが原因とにらんで、ノイズ対策されたものに換えた。

化けた。ものすごい変化量だった。今までのはなんだったんだというぐらい、霧が晴れたようになった。特にCDからの入力の音が劇的に良くなり、生気を得た。バックグラウンドが静かになることによって音楽が浮かび上がり、また、リズムが繋がるようになった。おそらくアナログ系におけるノイズと時間軸上の揺れが無くなったのだと思う。これなら、CDをプレイバックするときも、内臓DACよりこちらを通す方がいいとはっきり言える。ここ10年のDACの進化が感じられる音だ。

しかしUSB入力の音はずっと変化量が少なかった。つまりこちらではソースレベルでのボトルネックがあるということだ。で・・・ノイズキャンセリングを行うフィルターをUSB入力にも挿入した。

狙い通りにうまくいった。CDとUSBの音質差が、ゼロではないがかなり近づいた。まだいくぶん、CDの方が力があって音楽が楽しく鳴るが、パソコンからの入力でここまで行ければOKだと思う。この上に行くにはブリッジ機器やデジタルトランスポートを入れるしかないだろう。

自分にはこれで充分だと思う。ストリーミングで、膨大なライブラリをすべて良質な音で聴けるのだから。現状の音はハイエンドな音とはたぶん違う。リッチとかゴージャスとか煌めきという言葉はけっして出てこない。でも、静かでまっとうで素直で、自然に流れる音。それで十分だ。このDACはパラメトリックイコライザーも使えるので、音の作りこみはおいおいやろう。今のところは部屋の定在波の63Hzとその倍音126Hzをそれぞれ、4dB/2dB落としているだけである。

次は巷に氾濫しているハイレゾ音源を再生してみたくなるのは人情である。幸い、スペック上はとりあえずなんでも再生できることになっている。

いろいろ、ダウンロードして再生してみた。が・・・・うーむ、どう言えばいいのだろう。音楽的満足度の「平均値」において、ハイレゾ音源がCD音源(44.1KHz/16bit)をはっきり上回るとは、残念ながら言えない。しかしその「偏差」は格段に大きい。言い換えれば、どうしようもないものから、CDでは到達できない高みまでの広がりがあるということ、つまりは、当たり外れが大きすぎるということである。コストパフォーマンスは悪いと言わざるを得ない。確かに、素晴らしい音源はある。基本的には、24bitになるだけで非常に生っぽくなってリズムが流れるようになり、サンプリングレートが上がると音にいい意味で隙間ができるという感覚がある。個人的にはサンプリングレートは96KHzより上になってもあまり恩恵を感じないが、これは鳴らしきれていない(その隙間を実体感のある空気で埋めることができていない)だけかも。

話題のDSDも試した。DSDの音はかたち(輪郭?)がPCMとは異なる印象で、特に低音の実体感が違う。PCMにある隈取り感がないので、私にはDSDの低音の方が自然に感じられるが、ここは巷の評価と逆のようだし、DACによっても違うはず。それにどうも、DSDの場合は録音自体がDSDであるかどうかが鍵のようである。またDSDプレイバックの問題は、イコライザーやトーンコントロールが使えなくなることだ(少なくともこのDACでは)。デジタル領域で何もできないのでは使い勝手が悪すぎるし、それを可能にするためにPCMにコンバートしてしまったら元も子もない。とりあえず、ハイレゾのフォーマットは96KHz or 88.2KHz/24bitのFLACでいいと思う。

一方で、一聴してすぐにダメとわかるハイレゾ音源が少なからずある。特にアナログマスターからリマスターしました!という音源でマスターの鮮度に問題があったり、音圧を稼いでビットを埋めたようなもの(特に邦楽!)はガッカリを通り越して・・・・これ以上は言わない。しかし、こういう音源が存在する限りハイレゾは定着しないだろう。悪貨は良貨を駆逐する、を地で行っている。

現状、自分にとってはTIDALのCD音質が必要十分で安くて安全だというのが結論だ。44.1KHz/16bit音源の35年の蓄積と熟成は伊達じゃないということ。それでカバーできないのが邦楽なんだが、日本ではCD音質のストリーミングはおろかダウンロード販売もしないし、困った。圧縮音源でもそれなりに楽しめることは知っているが、それを中古CDよりも高い値段を出して買う気には全くならない。邦楽は中古CDに頼るよりほかないか。日本の音楽産業は、著作権という亡霊を守ろうとするあまり、音楽家と録音製作者が作りあげた音楽が本来のクオリティでリスナーに届かないように仕向けてしまっている。それが根本的な間違いだといつになったら気づくのだろう。

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May 01, 2017

音楽の感じ方は相対的なもの

ボンのベートーベンハウスは観光地としては有名だが、そこに小ホールがあって定期的に良質な室内楽コンサートが行われていることは知られていないようである。このホールは席数は200ぐらいの小さなものだが、天井が10m近くあるすり鉢状で、ステージはその一番底の、観客席と同じレベルにある。一番前の席に座ると演奏者までの距離は2mぐらいしかないのではないか。非常にインティメートな(親密感のある)空間で、音も適度なライブ感があり、妙な共振ピークもない。いいホールである。

先週の金曜日のコンサートに行ったのだが、その内容が非常に興味深かった。楽しめた、とは一概にいえないのだけど(苦笑)。というのも、このコンサートの前半で、ドイツ人作曲家ニコラウス・ブラス(Nikolaus Brass)の弦楽四重奏と2台のクラリネットによる作品が披露されたのだが・・・これが形容のしようがない凄い音楽だった。本体が共振しない周波数で強奏する2台のクラリネットがまるで猫の喧嘩のような音を出して耳がビーンとなったところに、弦楽器がまったく調和しない音のうねりを重ねる。正直、脳がこの音を処理するのを拒否するような感覚で、気持ち悪さで体温がぐっと上がる。と、思ったら今度はクラリネットはドロドロ・モゴモゴとした地底の底で蠢くカエルような音を出し、そこに弦楽器から超高音のこすり音を・・といった具合である。素朴な疑問だが、何が楽譜に書いてあるとあんな音楽になるのだろう?

この曲の前と後がモーツァルトとメンデルスゾーンの耳当たりのいい音楽で挟まれていたのは、おそらく観客への配慮だと思う。

だが・・・驚いたのはここからである。後半のプログラムの1曲目はリゲティの弦楽四重奏曲1番だった。これもまた現代音楽の部類の非常にキツイもので、普段好んで聞くはずのないものだ。しかし・・・これがブラスの音楽に比べたら全然普通に音楽として受け入れられたのである。非常に楽しめた。自分でもびっくり。

そして、次がベートーベンの、2台のホルンと弦楽四重奏による六重奏曲op.81bをクラリネットで演奏したものだったのだが、この曲が安心感とともに非常につまらなく聴こえてしまった。実際、この曲はベートーベンの後期作品としてはかなり古典的な手法によるものだとは思うが、ベートーベンがこれほどつまらないと感じたのは初めてだった。

最後にアンコールで一曲・・・なんと、それがブラスの曲の短い最終楽章だったのである。観客はみなゲッ、と思ったに違いない。しかし・・・なんと初めての時とは違い、その音楽を、ある程度脳が許容するのである。またまた、自分でもびっくりした。

ブラスは観客席におり、自作発表の前にその背景を語っていた。すべてを理解できたわけではないが、その趣旨はこうだった。「モダンな音楽とは時とともに変わるもので、音楽はあなた方の頭の中で鳴るもの。一曲目のモーツアルトのディヴェルティメント風の曲だって、当時のウィーンでは音が多すぎて神経に障ると言われたのである。今を生きている芸術家は、前に進まなければならない。これでいいのかどうか私にもわからないが、この曲でわたしは「楽器のもつ自然さ」をできるかぎり表現してみた。もしかしたら、あなたがたがそれを気に入るかもしれない。」

このコンサートのプログラムを終えて、そのブラスの言葉の真意をかなり理解できたと思う。結局音楽は聴いて自分の頭の中でどう感じるかであり、その感じ方というのは相対的なものなのだ。初めて聞いた時に拒否感を持つような音楽でも、それを体験し、慣れると許容できるようになる。時代時代の作曲家は聴衆の頭の中の感覚を広げる作業を繰り返してきたのだ。そうやって音楽は進歩し、受け入れられる音楽も変わっていく・・・。

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November 20, 2016

スマホ

時は過ぎ、もう冬になりつつある。
スキージャンプのワールドカップも、もうすぐ始まってしまう。
これだけ長いことブログを放置したことは初めてかも。
書くべきことがなかったわけじゃないが、何かを能動的に、外向きに行う気持ちや余裕というものがまるきり欠けていた。スキージャンプも始まれば見るんだろうけど、今季は昨季までのように発信することはできない気がする。

それは音楽やオーディオにおいても同じ。決まりきったディスクをちょこっとかけて、音がちゃんとしていることを確認して、安心して終わり。ちょっとダメでも、また良い時もあるだろうと、楽観的というよりは投げやりな気持ちでアンプのスイッチを切ってしまう。

そうこうしているうちに、スマホを持ってしまった。とうとう。はじめはiPad使っているんだからiPhoneにするぞと意気込んでいたのだが、本当にiPhoneでないとだめ?TIDALをオフラインメインで使うんだったら128Gにしておかないと後悔するかも?7ではヘッドフォン端子が無くなる?なんていうことをあれこれ考えているうちに、Appleの方向性に疑問を感じ始め、3倍の値段差に尻込みし、そして結局格安スマホにした。で、、持ってみて、その200ユーロしかしない手のひらサイズの機械のコンピューティング能力に愕然とした。この計算力が、3日間無充電で持つなんて・・・マスプロダクションの恐ろしさを感じずにはいられない。少なくとも、今までスマホを持っていなかった人間にとっては、この安いAndroidで必要十分だ。Appleの信念が、意固地と妥協の間で揺れ動くわけだ。

そして、もう一つの驚きがそのスマホの携帯オーディオプレーヤーとしての音だ。始めはスカスカの音でなんじゃこりゃと思った。が、TIDALで少し我慢して鳴らしていったら、「あれっ」と思うような音が出るようになった。ただアンプ部が貧弱なのは明らかで、AKG K601では音にならない。ならば・・・と感度の高い、インピーダンスの低い、速い低音がしっかり出るカナル型イヤホン・・・こういうスマホで使うことを想定している価格帯だが、だからといって安かろう悪かろうでは無いもの・・・を探した。すると、外出先で聞く分には全く問題がない、いや、時々音楽に入りすぎて危ないぐらいの音が出るようになって「しまった」。おぃおぃ、このスマホ、たぶんヘッドホンアンプ部には10ユーロもかかっていないはず。それに30ユーロぐらいのイヤホン・・・それでちゃんと聴ける音が出るなんて。

もちろん、この音は全くオーディオ的ではない。すごく静かなところで聞くと、空間はない・一番上の方は丸っこくて抜けない・一番下はすっぱり切れている、ローレベルは消えちゃってることがわかってしまう。が・・・街の中ではそれらは全く必要のない要素だ。ただ、ちゃんと音のスピードが揃っていて、音域バランスが整っていて、ファンダメンタル領域がしっかり出て、それでいて中高音が刺さらなければいい。「ただ」なんて言ったけど、なかなかそうはならないものだ。その上で、ほのかに「チャーミング」で「アナログ」な音がする。たとえて言うなら良いFM放送のような音。いくつかの点において、メインのシステムに勝つ場面があるのが困った・・・録音が悪い・古いがあまり関係ないのも良い。

これって、偶然だろうか?いや、違う。たぶん、マスプロのおかげだ。極限まで共通化されシンプル化された枯れた回路を使い、そのうえでデジタル的に音を追い込む「人的コスト」がかけられているのだ。何十万ユニット出るからこそかけられる開発コストだ。このスマホを100個だけ作るとしたら、いったい一ついくらになるんだろうか。高級オーディオの世界は、その100個だけ作るということをしているから、いまや天井知らずの価格状況になっているのだろう。そして、そういうものにはその価格を納得させるための、必要のない付加価値、見た目、能書き・・・がついてくる。そういうものを買うことが馬鹿らしく思えてくるのだ、このスマホで音楽を聴いていると・・・。


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July 09, 2016

JJ EL34

音楽を聴くという行為はけっこう高度な作業だと思う。
聞き流すのではなく、真剣に聴いて内側で感じること、のことを言っている。正直に白状するが、私は音楽を聴くことが苦手だ。特に自分の関心というか意識が別のところにとどまっているときに音を聞いても、その表面をなぞるだけで「音楽を聴いた」ことになっていないのである。

それは生の音楽でも同じ。こっちの受け入れ態勢ができてないと、チケット代が無駄になってしまう。

最近、ずっとそういう状態だった。この、自分の、関心を複数のものに振り分けることのできない性質に辟易とする。最近よく発達障害という言葉を聞くが、これはその一種なのかもしれないな、とふと思う。まずいのは関心の対象がどうにも思い通りにならない仕事のことだったりするときである。それがずーっと居座って、他のことに手がつかず、どんどん消耗してしまう。そういうときこそ、いい音楽を聴いてどこか別のところに飛んでいき、活力を得たいと思うのだが・・・。そうなっちゃうと逆に全く音楽を受け付けなくなってしまう。

音楽って癒されるものじゃないのかなぁ・・・・。うちの装置の出す音が厳格すぎる?うーむ、もっと嘘でもいいからリラックスできるような音、聞き流せる音が出るシステムを目指した方がいいのだろうか、なんて思ったりする。

それでも、家で音は適当に鳴らしてはいた。が、肝心のリスナーは心ここにあらず。装置がかわいそうだ。そうこうしているうちに、オクターブの一番左の6550 winged -C-が不安定になってきた。音も冴えない。アンプがへそを曲げてしまったようだ。

球を交換するしかないが、スベトラーナブランドのwinged -C-ラベルはもうほとんど入手不能になってしまった。特性のそろった4本組なんて市場に存在しないだろう。さて、どうしよう?

ちゃんと聴けないんだから、遊んでみようと思い立った。ダメもとで一度EL34にしてみようと。そこで管球王国70号のEL34のレビュー記事を読み返してみたが、どうもよくわからない。というのも、こういう記事においては球のコンディションが揃っている見込みがない。ばらつきの大きい真空管をこういう横並び試聴しても、単に運勝負で、たとえよかったとしても「たまたま」な感じがする。選別品の音がいいのは当然のことだ。レビュー時の音が球のポテンシャルを示しているとは到底思えないのだった。

で・・・それは完全に無視して、その試聴に使った新さんの(その時の)新作アンプの標準管がJJエレクトロニクスのEL34であったことを重く見ることにした。比較的市場価格が安く一般的な球だが、悪い噂はネット上にもほとんどない。なにより、新さんが信頼できない球を使うはずがないと思った。

JJはEU圏のスロバキアの会社だから、ドイツではものすごくリーズナブルな価格で手に入る。特にニュルンベルク近郊にあるBTB Elektronik-Vertriebsでは激安と言っていい値段だ。両社は車を飛ばせば2時間ぐらいで行き来できる距離にあるから、おそらくダイレクトに取引しているのだろう。そこで、BTBから8本揃いを買って4本選別使用することにした。8本でも送料・税込みで100ユーロに満たなかった。

届いた8本を見て、安心した。まず非常にカッチリとした作りである。見た目も内部も、たたいた時の音もちゃんとそろっている。工業製品はこうでなくてはいけない。まず4本装着して、24時間通電。バイアスをlowモードで合わせる。特性がよく揃っていることを確認。そこでいったん切り、完全に冷ましてからバイアス調整ポジションで点灯。温まっていくときのバイアス電流の上がり方をみる。完全に同期する2本があったので、その2本を残して、残り2本を換装。通電>同期・・・これを繰り返してもっとも同期する4本を選別した。安定状態でのプレート電流だけではなく、温度が変化していくときの特性変化まで揃っているようにしたかったからだ。精神安定のためだけ・・・・。

肝心の音だが、第一印象としては、とにかく、ものすごく静か。そして低音が意外とよく出るし、安定している。音場はコンパクトだが上と奥に伸び、定位がすばらしい。これは特性の揃いが大きいだろう。一方で中高音が硬い。ピアノはとてもいいが、人の声がカサつく感じだ。エージングで変化すると思っていたが、2,3日経ってもあまり変化がなかった。うーむ、これはどうしたことか・・・。

そこで思い切って、バイアスを調整してバイアス電流をビーム管用のhighポジションに上げてみた。真空管はそう簡単には壊れないものだし、一つ気になることがあったからだ。それは33mAと手書きで箱に書かれていることだった。もしこれがバイアス電流の値だとしたら、その値はビーム管と同等のものだ。

世界が変わった。熱い、インティメートな音に劇的に変化した。少し行き過ぎ・・・。でも方向性は間違っていないことを確信した。バイアスを調整して徐々に電流値を落とし・・・黄のLEDがギリギリ消えるか消えないかのレベル、つまりLowポジションでもっとも高い電流値に落ち着いた。静的でクリアー、でも内にこもった熱が音に宿る。クラシックよりも、ジャズ・ポピュラーが聞きたくなる音であり、現にそういうディスクに手が伸びるようになった。でも、もちろんクラシックもいい。この音はHifi Atelierで聞いた最高の音を凌駕している。

いろいろディスクを変えながら聞いて、守備範囲が広がっていることに驚いた。Jポップも古いロックも(まともなディスクならば)ちゃんと聴ける。そうこうしているうちに、いつの間にか、音ではなく音楽に心を奪われていることに気づいた。仕事がひと段落着いたということも大きいかもしれないが、ここ1年ぐらいなかったことだ。

JJのEL34はオリジナルEL34よりも出力に余裕が大きいのかもしれないな。よしんば、高いバイアス電流のせいで真空管の消耗が激しいとしても、JJのEL34ならばランニングコスト的に問題にはならないし。このまま行こうと思う。

それにしても、バイアス調整で感覚的に違う音になるのは不思議だ。理論上、適正値の範囲内ならば歪みが大きく変わるようなことはないはず。特にオクターブアンプのような、余裕のある回路ならなおさらだ。今回、うまくいったことも「たまたま」なのかもしれない。

これでようやく、前に進む準備が整った感じがする。

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September 20, 2015

音楽もインプット

今、ドイツにシリアからの難民が10万人単位で押し寄せている。ドイツは自らの理念を全うするために、難民を全力で受け入れようとしている。ものすごいことだ。彼らをうまく労働力として活用できればこの危機をプラスに転換できるという側面もある。国内世論の大きな部分はこの政府の姿勢を本心から良しとしている。それもすごいことだ。ドイツ人は理念主導で動くことができることに驚かされる。稀有な国民性だ。

しかし、理念はともかく、この物量の前にはいかんともしがたいものがある。ということで何とかEUの他の国にも負担を分かち合ってもらおうと説得に回っているが、ギリシャ問題の時よりも難航している。ギリシャのときは「お金」という、ある意味「現実ではないもの」-投資者が買う国債を保証するのみですむ-が対象だったから他の国は「ドイツが保証する」ならば乗れたということなんだそうだ。しかし、今回のことは現実の負担だから、誰も積極的には助けてはくれない。この孤立無援の状況は、国内世論の不満爆発からドイツのEU離脱やEUの崩壊につながりかねないと思う。その過程で外国人排斥の動きが活発化する可能性を懸念している。ドイツに住むいち外国人としては、無関心ではいられない問題だ。

日本は安保法案のことで凄い騒ぎになっているようだけど・・・・日本はたぶん、すごく幸せな国なんだなと思う。その幸せが続くためにどうするべきか、良く考える契機になればいいと願う。

・・・久しぶりにまじめな話を書いてしまった。閑話休題。
TIDALの音楽配信は音楽の聴き方を根本的に変えてしまった。聴きたいものが山ほどあるのだが、物理的に聴ききれない。もどかしい。というのも、TIDALは音がいいから「ながら聴き」ができないのである。ついつい音楽に聞き入ってしまい手が止まってしまう。また、本気で聴ける音楽の総量には限界がある。これは自分だけのことかもしれないが、聞いた後、それを処理するのに頭がフル稼働状態になる。ある程度以上になると、睡眠や仕事への影響が出てしまう。

そして、Apple Musicを聴く時とは違い、iPadとBose QC20i、Libratone ZIPPの限界が気になって仕方がない。もっとちゃんと聴きたいという欲求が出る。それらが出す音は悪い音じゃないのだけど、秋になって好調のメインシステムが出す音と一対一で比べるのは酷な話だ。

その状況ではTIDALで聴いてよかった音源のCDを買うという、新たな動きが出るのは当然のことだ・・・。そして、もっといいミュージックプレーヤー、ヘッドホン、DACが欲しい!TIDALをメインシステムで聴きたい!と思う。Appleのコンフォートなエコシステムから一歩踏み出すと、こういうことになる。

もう一つのもどかしいことは、クラシック音楽において、Apple Musicのライブラリの方が少しTIDALよりも充実しているということだ。また、TIDALは検索機能に少し不備が感じられ、目的のものがちゃんとリストアップされないという感覚がある。曲名検索があまり機能しないし、アーティストがたとえば、「ヒラリー・ハーン」と「ヒラリー・ハーン&ベルリン・フィル」が別になったりする・・・。

とはいえ、現実的に困ることはほとんどない。Apple Musicで聴いてよかった、ザビーネマイヤー&アルバンベルクSQのブラームスのクラリネット協奏曲がTIDALになかった(他のアルバンベルクSQのアルバムはほとんど全部あるのにな・・何故だろう)ので、同曲を含む4つのアルバムをダウンロードして聴き比べて、それぞれの良さを確認しながらシフリン/エマーソンSQ盤を愛聴盤として残す。その上でそれをCDでも注文、みたいな・・・・。そんなことが個人レベルできたことは、いまだかつてなかった。クラシック音楽好きにとっては、音楽配信は夢のようなシステムだと思う。

とにかく、本当にストリーマーかDACが必要だ。そのためにも、まずは仕事を一段落させないと。


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September 06, 2015

TIDALの悩ましい立ち位置

Apple Musicを使って音楽を聴くようになって1ヶ月以上経った。ようやく、それがどういうことなのかがわかってきたと思う。音そのものに関しては、出先でApple Musicで聞いていたものと同じ、いい演奏と録音が両立している楽曲を、帰ってすぐにメインシステムで聴いたとき(これはApple Musicには酷なテストだ)、クオリティでは同一の立ち位置では比較できない差があることに愕然とする。特に、音の肌触りと場の深さに大きな差が・・・。

ただ、この比較は意味が無い。出先で一息つくときの、テイクアウトのコーヒーがものすごくおいしい場合だってある。自宅で豆を挽いてじっくりと淹れたコーヒーがどこでも飲めればそれに越したことはないが、それは不可能だ。逆に、家でテイクアウトのコーヒーを飲むことはありえない。これと同じで、出先で聴くApple Musicとメインシステムで聴く音楽はまったく立ち位置が違い、ある意味、競合しない存在なのである。

ただ・・・この状況はLibratone Zippを導入したことで少し変わった。メインシステムの音楽は「ながら聞き」ができないし、ヘッドホンを家ではつけたくない。そこで、Apple Music用にAirPlayで鳴らせる、簡単で、持ち運び可能なスピーカーを探し、Libratone Zippに決めた。

いくつか制約はあるけど、Libratone Zippには満足している。使い勝手の面では、Wifiの電波が強くない状況での接続性とか、電池の持ちとか、弱点はある。けど、音に関しては本当にびっくりするぐらい真っ当。この大きさでも置き場所をちゃんとすれば低音がマトモに出るし、バランス良く鳴る(厳密に言えば最低域が少しだけ遅いとか、垂直方向の角度によっては音程感に違和感が出ることがあるけど、それはArkadiaに比較してのことだから・・・)。ステレオイメージやスケール感が必要な大編成オケとかを鳴らさない限りは、これでまあ、いいという感覚で鳴る。

が・・・このLibratone Zippで聴くAppleMusicは、まさに「コンビニのコーヒーサーバーが家にある」という状況である。これを聴いていると、メインを鳴らさなくて済んでしまうことが、まま、ある。

しかし、それではすぐにクオリティ的な不満足感が出てきてしまうのも事実。便利さと、クオリティの両立はできないものか・・・ということで今度はTIDALに手を出してしまったのであった。TIDALはロスレスで音楽を配信するサービスで、値段はApple Musicの2倍。ライブラリの大きさはほぼ同じで、チェックした限りでは、品揃えは多少異なるがあまり大差ない。タワレコとHMVの違いのようなもの。1ヶ月は無料で試用できるので試すことにした。

で・・・正直、びっくりした。これは凄い。プレーヤーのソフトもいいのかもしれないけど、本当に音のクオリティが高い。Libratone Zippがそれをちゃんと受け止められることも凄いと思うけど、この音源ならメインに入れて挑戦してみる価値があると思った。まさに、巨大CDショップが手の中にある状態になる。もうすぐハイレゾも配信するという。

が・・うーーむ、これはまさにCDと競合する存在である。CDはモノとしての価値が高いわけじゃないから、もし音のクオリティが同じなら、太刀打ちのしようがない。

こうなってくると、TIDALの配信音楽が現状、少なくともDestinyで鳴らすCDとクオリティでガチンコ勝負できるのかどうか、メインのシステムで試したくなるのが、オーディオマニアの性である・・・。Apple Musicの時にはまったく考えなかったことだ。これはApple MusicとTIDALの立ち位置が違うということを意味している。TIDALはメインのシステムで聴く音楽と、Apple Musicの両方と競合する場所に立っている。

ただ、配信音楽を聴いていて決定的に不満に思うことが一つあって、それはライナー・ノートが無いと言う事だ。別に楽曲解説をしてくれる必要はない(それはネットでいくらでも検索できる・・・繫がっているハズだから)が、いつの、どういう状況での録音で、誰が演奏して誰が録音しているかぐらいの状況・・・・つまり「クレジット」が無いことが、ものすごく不満なのだ。クラシックの場合、ソリストがフィーチャーされたアルバムでは、オケが何なのかすらわからないことがある。これが解消されれば、CDを持つ必要は無くなり、TIDALだけでOKとなる可能性があるのだが・・・・うーむ、どうなのかな。本がそうだったけど、手に取る、触るという感覚が無くなってしまったとたん、「情報を消費する」という感覚になるような気もする。なんだか、SFに出てくる、サイバー空間へのアップロードや肉体のロボット化を拒否する「古い人間」みたいなことを言っているかな。

(追記)TIDALではアルバムの「Description」内にクレジット情報を見つけることができる「場合がある」ことにようやく気づいた。だが・・・とりあえずあるだけという状況に近く、見られることを意識しているようには思えない。ここにきちんと、ライナーノート的なものを入れてもらえるとありがたいのだが・・・・。音源を拠出しているレーベルの努力でなんとかなりそうなんだが、膨大な手作業が発生することは想像に難くない・・・。

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July 28, 2015

iCloudにあるものをを検証する

前回のエントリーで「自分でリッピングし、iCloudミュージックライブラリに登録したものはストリーミングでは残念な音質でしか聴けない」という結論に達したことを書いた。が・・・朝令暮改で申し訳ないが、どうやら「そういう時もある」という注釈をつける必要があるようだ。というのも、「ダウンロードしてオフラインで聴けるようにすると、かなり改善する」という印象は正しかったようで、プレイリストを作ってすべてダウンロードしてから持ち出したら、出先でそれなりにいい音で音楽を楽しむことができたのである。

・・・・では、何故あの時はよくなかったのか?おそらく、だけど色々とアップロードとかしながら聴いたので通信帯域が限られていたのではないかな・・・それで自動的にビットレートが落ちたのかもしれない。ただ、それだけだとApple Musicの楽曲と自分のアップロードした楽曲の間に大きな差があるように感じたことは説明できない。先入観のなせる業だというのが本当だと思うが、Apple Musicの曲にはビットレートが落ちてもそれらしく聞こえるチューニングが施されている可能性もある。

ただ・・・後でダウンロードしてから聴いて比較しても、やっぱりApple Musicからダウンロードしたものが一番良く聞こえることは確かだ。そして、Apple Losslessのファイルをアップしても、ダウンロードしたものはAACになってしまうことも事実。アップした時に何らかのコンバートが行われていることは間違いない。

そこで、何がiCloudに保存されているかを検証するために、先日の比較テストに使った楽曲のThinkpad上にあるローカルのファイルを削除した上で、クラウド上のファイルを再ダウンロードし、降りてきたファイルのプロパティを見てみた。その結果は以下のとおり。

もとのファイル -> iCloudからダウンロードされたファイル
Apple Lossless 18.8MB -> AAC 256K VBR 8.3MB
AAC 320K CBR 9.3 MB -> AAC 320K CBR 9.3MB
AAC 256K VBR 7.8 MB -> AAC 256K VBR 8,3MB

非常に興味深い結果となった・・・。
もっとも面白い結果はAAC 256Kのファイルのサイズが変わっていること、そしてそのサイズがAppple Losslessからコンバートされたファイルと一致していることだ。AAC 256KはいったんLosslessに変換されてから、Losslessに用いられたのと同じエンコーダーを用いて再圧縮されたと考えるとつじつまが合うように思う。
そして、AAC 320K CBRはファイルサイズが変わらなかった。これは・・・・まったく手が加わっていないという可能性が非常に高い。
ちなみに、Apple MusicからダウンロードしたファイルはAAC 256K VBR 8.4MBで、Losslessから変換されたファイルに近いが違うという結果。「音量」の値も違うし、音も違う(繰り返しになるが、Apple Musicの方がよい)。

ただ、これらの考察を再生音をから裏付けることはできなかった。元あったファイルをもう一度用意して聞き比べたが、256K VBRの元ファイル(7.8MB)と、ダウンロードされた256K VBR(8.3MB)の間にはほとんど差が感じられないのである。320Kのファイル間にも差がないけけど、ファイルがいじられていないという証拠にはならない。一方でLosslessファイルとコンバート後の256K VBRの間にはクオリティの差が確実にある。そして、Apple Musicからのファイルは同じ256Kなのに、かなりLosslessに迫る。

この結果を踏まえて、次のようにすることにした。
1、ファイルのリッピングとエンコードはAAC 320K CBRで行う。
2、アップロードしたファイルはストリーミングせず、基本的にはローカルにキャッシュして聴く。

1、は精神衛生上の選択である。Appleにエンコードを任せたが結果としてはいいのかもしれないが、手が加わらないという安心感を取りたい。2、はライブラリをクラウドに集約する意義を半減させるが、ネットワーク上流の不確定要素で音が悪くなる可能性を排除するためには仕方ないだろう。

とりあえず、検証はこのくらいにして音楽を楽しむことにしたい。自分でアップしたものよりも、Apple Musicにあるものの方が重要なんだし。過去の達人の演奏が、数限りなく待っている。今日はアルバン・ベルクSQとザビーネ・マイヤーのブラームス・クラリネット五重奏曲をトラムに乗りながら聴いていたが、これが今日の陰鬱な天気とドイツの風景に絶妙にマッチしていて、まるで「世界の車窓から」の世界に入り込んだかのようだった(喩えが古くて申し訳ない・・・)。Bose QC20iは解像度はそこそこだが、雰囲気の再現が上手でストリーミング音楽を楽しむのには好適だと思う。ただ、ノイズキャンセリング(NC)を作動させると、周りの景色に現実感がなくなり、自分だけが世界に浮いているような、ヴァーチャルな世界に入ったような感覚になる。歩いているときはNCを切らないと、危ない。

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July 26, 2015

iCloud music libraryの、Apple Musicとリッピングした曲の音質差に困る

少しづつCDをリッピングしてiCloudミュージックライブラリに統合する作業を行っているのだが、妙な現象に遭遇している。自分でリッピングした曲をiCloudにアップして、そこからiPadでストリーミング再生をしたときに音が冴えないのである。Apple Musicから配信されるものとは違い「圧縮音源」のイガイガした音がする。リッピングとエンコードはiTMSの楽曲と同じとされるiTunes plus (AAC 256Kbps VBR)の設定にしているのにも関わらず、だ。

ただ、同じ楽曲で音を比較したわけじゃないので、本当にそんな違いがあるのかどうか自信がない。Apple MusicにあるCDはリッピングする必要がないからね。

はっきりさせるためにちょっとした実験を行った。まず、所有のCDに入っていてApple Musicにもある楽曲を一つ選んで、インターネットに接続していない状態で二つのリッピング方法(EACでイメージ化したのちにiTunesにインポートする方法と、直接CDからインポートする方法)でiTunesにインポートした。Apple lossless、AAC 320Kbps CBR、AAC iTunes plus (256Kbps VBR)の3種類のエンコードで別々のファイルにし、マッチングさせないようにアルバム名を手動で変更。その後にインターネットに接続してiCloudミュージックライブラリに登録した。それらの曲のファイルのプロパティを見ると、「アップロード済み」となっている。マッチングは行われていない。

で、それらをストリーミングでiPadで聞いた。同じ曲をApple Musicからの配信でも聞いて比較した。

結果は・・・・Apple MusicはOK。それ以外はすべてほぼ同じ音でイガイガしている。ブラインドテストでも判別できる差があった。リッピング、エンコード方法による差はほとんどなかった。Losslessがほんのすこしマシかな?っていうぐらいの差しかない。もう一つ妙なことは、「オフラインで再生可能にする」をオンにしてiPadのローカルストレージにキャッシュすると多少改善する(Apple Musicとの音質差が少なくなる)ように感じることだ。何故?

キャッシュされたファイルたちは、Apple Musicから来たもの以外はONKYOのHFプレーヤーで聞くことができた。つまりDRMは付加されておらず、マッチングはされていないということだ。驚いたことに、再生中にファイルの情報を見るとApple LosslessでエンコードしたはずのものもAACとなっている。しかし、それ以上の情報(ビットレートなど)は不明だ。

リッピングに使い、ファイルたちがローカルに保存されているThinkpadでそれらを再生して聴いてみると、明らかにApple losslessが良いが、AACのファイルもストリーミングで聞くほどは悪くない。320K CBRと256K VBRは差があるけれども、ほんのわずかだ。驚いたことに、Apple Musicからの配信はlosslessに限りなく近いクオリティに感じた。自分で作ったローカルにあるAAC 256K VBRよりも音がいいことは間違いない。同じビットレートとは思えない。

ただし、それらの音質差は本質的なものでない。ある意味、どれでもまぁ、受け入れられる音だ。自分でリッピングしたファイルをiPadでストリーミング再生した時のような、生理的に辛い音ではない。

つまり、リッピングで作ったファイルをクラウドにアップしてそれをiPadでストリーミングで聞く時のみ悪くて困るということのようだ。iPadではApple Musicの音がThinkpadで聴くときよりもさらに心地いいだけに(つまりiPadのヘッドホン端子のせいではない)、その満足度の差は大きい。

うーむ。どーゆーこと?
たぶん、だけどクラウドに上げるときに全部何らかの形でコンバートされてしまうんじゃないかなぁ。そのコンバートが悪さをするということかも・・・。もともとAACでエンコードしたものも十把ひとからげにコンバートしちゃっているのかな・・・・。圧縮したものをもう一回圧縮したらよくないのは明らかだが、それだけが原因だとするとlosslessのファイルも良くないことの説明がつかない。ものすごく感覚的に言えば128Kbpsぐらいに一旦圧縮されちゃっているという感じなのである。歯切れが悪いのは、iPadで聞いているデータがどういうものなのかがはっきりしないから。耳で判断したあいまいな印象だけで言っているに過ぎない。それに、もう先入観が入っちゃってるから、正確な判断はできていないと思う。

一方でApple Musicの音がかなりいいということもわかった。少なくともコンピューターにヘッドホンを直差しして聴く限りにおいては、ローカルに保存されているlosslessファイルに遜色ない音に聞こえた。エンコード時にかなりチューニングが施されていると思う。

まあ、もともとApple musicの音に一定の満足を得られたからこそ、手持ちのApple Musicに無いものもアップして同じように(音質的にも)聞きたいというのが当初のもくろみだった。が・・・Apple Music(そしてiTMSの)デフォルトとされるAAC 256KbpsでCDをリッピングしてアップロードすれば同じ音質になると思ったのが甘かったようだ。現状では、それらのリッピングしたものはクラウド経由ではApple Musicとは差がある、残念な音でしか聴けないと結論せざるを得ない。リッピング時に努力してもあまり効果がないようなので、対処のしようがない。困った。

とにかく、もうちょっと検証が必要だと思う。

(注:ここに書かれていることは、あくまで「私の環境における、私個人としての感想」の域を出ないものです。決して一般化して鵜呑みになさらぬよう)

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July 19, 2015

ストリーミング配信とオーディオのすり合わせ

ドイツの夏の気候が変化してきている。仕事に行こうと早朝に家を出ると、昔、夏休みの朝にラジオ体操にいくのに外に出たとき、を思い出させるような空気感があった。生暖かさの中に、ひんやりとした、湿気を含んだツブツブを内包する空気・・・。

Apple Musicはまだ飽きずに聴いていて、だいぶわかってきた。その絶対的な音質は、ニール・ヤングが指摘するまでもなく、アーティストが音に込めたすべてを明らかにできるほどのものではない。よくよく聞くと、なにかこう、テクスチュアに(いい意味での)ざらつきがなく(手触りがないという感じかな)、そしてバックグラウンドには、もやっとした不透明感がある。この音源をプロ用DACに入れて、いいモニタースピーカーにつないだらまったく楽しめない音がするであろうことは想像できる。

だが・・iPadで聞くと聞けてしまう。そういう欠点がうまいことマスクされ、程よいナローレンジ感で音質を気にすることなく音楽に浸れる。古い洋楽とか・・・びっくりするぐらいに上手く鳴る。ラジオや店の有線放送でふと流れてきた音楽に心を奪われるのと同じような感覚だ。この音作りは、新しい音楽に触れるという目的においては素晴らしい。多少の録音の瑕疵なんて気にしないでいいおおらかさがある。お勧めにしたがって続々と聴き、どんどんライブラリが大きくなる。

変な話だが、Apple Musicを聴けば聴くほど、音楽寄りに心が行き、オーディオから心が離れる。これはどういうことだ?その現象の裏は、いいオーディオの音を聴くほど、音楽から心が離れるということになる。そんなはずは・・・・・ない・・・・はず、だが?録音がなってない、と言われて排除されたCDがダンボールに溜まっていることが、それが正しいことを裏付けていないか?

ドイツのApple Musicにもやっぱりレーベルの壁は存在している。クラシックも、日本の会社が版権を持っているもの以外にも、かなりの新譜はApple Musicに提供されていない。一度聴いてみたかった、ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルハーモニーブレーメンのベートーベン全集は配信されていなかった。シューマンの全集の方はあるのに。

そこで、それらについては中古CDを買うことにした。結構出回っていて、一枚10ユーロ内外で買えた。久しぶりにオクターブに火を入れて、序曲集と1番を聴いたのだが・・・。Apple Musicにかまけてほって置かれたオクターブ君が怒っていた・・・・ように聞こえた。それぐらい、ものすごく強い音が出た。このエネルギー感と空気感の両立は圧縮音源のストリーミングでは難しいだろう。ベートーベンの1番は好きなので良く聴くのだけど、ここまで「もぎたて」感のある演奏を聴いたのは初めてと言っていい。まったく「溜め」を作らず、ストレートに、若きベートーベンの野心、ある意味エゴを描き出す。その音楽が生まれた場で、人々がその音に驚き、戸惑ったであろうことが、まるでそこに居合わせたかのように感じられた。ピリオド的演奏が苦手な私にも得心がいく演奏だった。

で・・・やっぱりこういうのを聴くと、いい音楽はいいオーディオで聴かなければダメだと思う。

このふたつのまったく違う感慨をほぼ同時に得たわけだが・・・少しの戸惑いの後、私の中ではそれらは問題なく両立している。結局、ソフトに込められた音楽の本質に迫る方法を一つに決めるのではなく、作り手にあわせて柔軟にするべきだということなのだろう。ゼネラル・オーディオを意識して作られた作品はお手軽に聴くのがよく、そういうソフトをあまりに厳格なオーディオで聴いても楽しくない。一方で、お手軽に聴いたら、フーン、で終わってしまうソフトから音に込められた魂を引き出すには、それなりのオーディオ装置が必要なことがある。

このふたつを一つにまとめようとするから齟齬が生じるということに、ようやく気づかされたのだった。

だから、分けちゃうことにした。ストリーミングや圧縮音源はヘッドホン直差しやAir Playスピーカーでラジオ的に聴き、それにいいDACをあてがったりしてメインのオーディオにつなぐことはしない。逆にハイレゾ音源や録音のいいCDからリッピングした非圧縮WAVは、基本的にメインのオーディオでしか聴かない。それでいいんじゃないか。

DACやストリームプレーヤーをどうするかについてしつこく悩んでいたのだが、だいたい答えが出た。一時は何でも聞けるストリームプレーヤータイプ(たとえばPioneer N70Aとか)やipad/iphoneにつなぐことに特化したタイプ(micro iDSD等)に心が動いたのだけど、おそらく機能を絞ったUSB-DACタイプのものにすると思う。近々、いくつかのブランドの機器において世代交代がありそうなので、もう少し待って、導入することにしたい。

一方で、ダンボールに溜まっている、メインのオーディオではどうにも楽しめないCDたちはリッピングしてiTunesのライブラリに統合し、Apple Musicとともにお手軽に聴けるようにしていこう。

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July 05, 2015

Apple Music

熱波が来た。家庭用クーラーというものが存在しないこの国での、連日の35℃越えは厳しい。来週には収まるみたいなので、じっと耐えるしかない。

暑すぎて出歩くこともできず、時間はあるから音楽聴きたいけど、熱いオクターブに火を入れる気にはまったくならない。グダグダしていたら一本のプッシュメールがAppleから来た。Apple Musicへのリンク。なんというタイミングだ、まったく。こっちを見透かしたような・・・・・しかもそのメールをiPadの方で受けてしまった。こういうメールは普段は即ゴミ箱行きだが・・・・。

一応、3ヶ月の無料期間が過ぎたら自動延長はしないように設定した上で試してみることにした。

・・・・・・・・あぁ、そういうことか。
ドイツのApple Musicでは邦楽を聴くことはできないけど、それでも・・・・このものすごいアーカイヴがこの手の中に・・・・。

これで、音がダメだったらダメなんだが、これがまた・・・ツボを押さえている。もちろん、オーディオファイルの視点から見ればクオリティが高いとはいえない音ではある。しかし、AACの器の大きさに合わせてきちんとまとめられた音なのだ。音楽的にまっとうな音。安いミニコンでかけるCDではなかなか出ない音が、ちゃんと出ている。

ものすごく良くできたFM放送の音に感触が似ているかな?けっこうアナログチックな音で音楽を楽しめてしまう。

自分の持っているCDも聞いてみたんだが・・・・録音のパーフェクトでないCDだと、Apple Musicが音楽的満足度で家のシステムを上回ることがあると認めざるを得ない。その衝撃の事実にちょっとクラクラしてきた。ちなみにWifi接続のiPad2、AKG K601の直差しの状態で、だ。普通の人が出先やBGM的に聞くという目的で、これ以上のクオリティが必要だとは思えない。

クラシック関係では、ユニバーサルクラシックの各レーベルから、ナクソス、マイナーレーベルに至るまでかなり網羅されている。過去の名盤も聞き放題だ。CDとしては入手困難なものも数限りなく見つかる。最新のアルバムにはいくつか無いものがあるなぁ・・・・・ああ、そうか、それらは日本企画のものたちか。そういうしょうもない利権関係の国境は見える。

こりゃ、スマホを持っている人にとってはCD、そしてCDショップというものが完全に必要でなくなる。リッピングは過去の儀式となる。いや、もうiTunes Music Storeですら必要ない。そう、音楽は買うものでなくなるのだ。

おそらく、オーディオファイル向けハイレゾとApple Music(をはじめとする音楽配信サービス)、そしてアナログが共存していくことになるのだろう。帯域の拡大とともに、ハイレゾもストリーミング配信に向かうことは想像に難くない。

とんでもない時代になったものだ。受け入れるのにはちょっと時間がかかりそうだ。この感覚を比喩的に表現すれば、何でも頼めるフードコートが家の目の前にできて、向こう3ヶ月はタダで食べ放題。その後も1ヶ月に10ユーロでOK.。料理も絶対的クオリティはそこそこだけど結構いける。でも食べられる量には限りがあるし、そこで食べちゃうと家で丹精込めて作る料理を食べられなくなる。いや、作ることすらしなくなっちゃう。そういう感じ。そのうち、その味に慣れてそれでよくなっちゃったり・・・そう考えると・・・・・。

この自分が3ヵ月後、料金を払ってApple Musicを続けることになるのだろうか。それこそ自分にとっての大事件だ。

(追記)私も楽曲へのDRM付加の問題があることに気づきました。詳細はググれば出てきますが、ややこしくて理解不能。要は、上記フードコートの例で言えば、テイクアウト不可、持ち込みはOKだけど持ち込んだらそこで食べてくれということなんだと思っている。店としては大量にタッパにつめて持ち出されたらたまらないが、店を出る時にはタッパの中身が持ち込んだものかどうか区別をつけるのは難しいということなんだろう(比喩しすぎて意味不明か・・・どこかの国の国会答弁みたいだな)。もちろん、これはAppleがそうしたくてそうしているわけはない。ふぅ・・・。

なので、”こりゃ、スマホを持っている人にとってはCD、そしてCDショップというものが完全に必要でなくなる。リッピングは過去の儀式となる。いや、もうiTunes Music Storeですら必要ない。そう、音楽は買うものでなくなるのだ。”という上記の文言には、現状では”クラウド上にある楽曲のみをストリーミングで聴く場合においては”という制限がつくことになる。つまり、Apple Musicは従来の楽曲を購入するスタイルのオーディオとは排他的な位置づけなのだ。AppleはiCloudミュージックライブラリで2つの排他的な楽曲リストを統合しようとしているから無理が生じている。コンセプトとしてはわかるのだが、やり方としてはユーザーを欺くような感覚が否めない。

(7.7追記)
日本のIDにて日本のApple Musicも試してみたけど・・・・愕然として途方にくれた。レーベル・事務所の壁でできた迷路の中をさまよう感じ。これではメジャーどころとか懐メロしか聴かない人には、ほぼ意味ないのでは?海外からアクセスしているからブロックされているわけじゃないよねぇ?

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