May 01, 2017

音楽の感じ方は相対的なもの

ボンのベートーベンハウスは観光地としては有名だが、そこに小ホールがあって定期的に良質な室内楽コンサートが行われていることは知られていないようである。このホールは席数は200ぐらいの小さなものだが、天井が10m近くあるすり鉢状で、ステージはその一番底の、観客席と同じレベルにある。一番前の席に座ると演奏者までの距離は2mぐらいしかないのではないか。非常にインティメートな(親密感のある)空間で、音も適度なライブ感があり、妙な共振ピークもない。いいホールである。

先週の金曜日のコンサートに行ったのだが、その内容が非常に興味深かった。楽しめた、とは一概にいえないのだけど(苦笑)。というのも、このコンサートの前半で、ドイツ人作曲家ニコラウス・ブラス(Nikolaus Brass)の弦楽四重奏と2台のクラリネットによる作品が披露されたのだが・・・これが形容のしようがない凄い音楽だった。本体が共振しない周波数で強奏する2台のクラリネットがまるで猫の喧嘩のような音を出して耳がビーンとなったところに、弦楽器がまったく調和しない音のうねりを重ねる。正直、脳がこの音を処理するのを拒否するような感覚で、気持ち悪さで体温がぐっと上がる。と、思ったら今度はクラリネットはドロドロ・モゴモゴとした地底の底で蠢くカエルような音を出し、そこに弦楽器から超高音のこすり音を・・といった具合である。素朴な疑問だが、何が楽譜に書いてあるとあんな音楽になるのだろう?

この曲の前と後がモーツァルトとメンデルスゾーンの耳当たりのいい音楽で挟まれていたのは、おそらく観客への配慮だと思う。

だが・・・驚いたのはここからである。後半のプログラムの1曲目はリゲティの弦楽四重奏曲1番だった。これもまた現代音楽の部類の非常にキツイもので、普段好んで聞くはずのないものだ。しかし・・・これがブラスの音楽に比べたら全然普通に音楽として受け入れられたのである。非常に楽しめた。自分でもびっくり。

そして、次がベートーベンの、2台のホルンと弦楽四重奏による六重奏曲op.81bをクラリネットで演奏したものだったのだが、この曲が安心感とともに非常につまらなく聴こえてしまった。実際、この曲はベートーベンの後期作品としてはかなり古典的な手法によるものだとは思うが、ベートーベンがこれほどつまらないと感じたのは初めてだった。

最後にアンコールで一曲・・・なんと、それがブラスの曲の短い最終楽章だったのである。観客はみなゲッ、と思ったに違いない。しかし・・・なんと初めての時とは違い、その音楽を、ある程度脳が許容するのである。またまた、自分でもびっくりした。

ブラスは観客席におり、自作発表の前にその背景を語っていた。すべてを理解できたわけではないが、その趣旨はこうだった。「モダンな音楽とは時とともに変わるもので、音楽はあなた方の頭の中で鳴るもの。一曲目のモーツアルトのディヴェルティメント風の曲だって、当時のウィーンでは音が多すぎて神経に障ると言われたのである。今を生きている芸術家は、前に進まなければならない。これでいいのかどうか私にもわからないが、この曲でわたしは「楽器のもつ自然さ」をできるかぎり表現してみた。もしかしたら、あなたがたがそれを気に入るかもしれない。」

このコンサートのプログラムを終えて、そのブラスの言葉の真意をかなり理解できたと思う。結局音楽は聴いて自分の頭の中でどう感じるかであり、その感じ方というのは相対的なものなのだ。初めて聞いた時に拒否感を持つような音楽でも、それを体験し、慣れると許容できるようになる。時代時代の作曲家は聴衆の頭の中の感覚を広げる作業を繰り返してきたのだ。そうやって音楽は進歩し、受け入れられる音楽も変わっていく・・・。

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August 31, 2013

ハイドンのロンドンセット

夏の終わりの穏やかな空気が漂うこの季節は好きだ。こんな感じがずっと続いてくれたらなぁ・・・でも、まったく季節の移り変わりが無かったら、それはそれで味気ないものだろう。

夏の間はハイドンの交響曲をよく聞いた。仕事柄、家に帰っても頭の中がいっぱいで音楽が入ってこないことがけっこうある。そういうときはハイドンがいい。何にも考えなくていいから・・・・

ハイドンの交響曲は映像作品に喩えれば「2時間ドラマ」だと思う(いい意味で)。安定した展開、ちょっとしたスパイス、そして最後はちょっとあっけなく終わるところも。

他の作曲家の交響曲を同じように喩えると、モーツァルトはさしずめハリウッドの娯楽映画、ベートーヴェンは巨匠が作ったメッセージ性の強い作品、ブルックナーは緻密に構成され最後にホロッとくるドキュメンタリーでマーラーは実存主義の大作小説を長編ドラマにした・・・といったところかな。

くたびれている時はベートーヴェンやマーラーは拒絶反応を起こすし、モーツァルトやブルックナーは後で疲れがドッと来る。でもハイドンならOKだ。

小学生の時、初めて手にしたミュージックカセットがハイドンの「驚愕」と「時計」だった。テープが擦り切れるほど聞いていた。全然気にしていなかったので誰が指揮していたとかは覚えていない。でも、今思い返してみてもすごくいい演奏だったと思う。最近改めて聞いてみて、この2曲はクラシック音楽の基本を押さえた素晴らしい交響曲だという認識を新たにした。

ハイドンってとても素直な人だったんだろうと思う。普通、あれくらいの巨匠になったらふた周りも年下のモーツァルトの真似なんてしないんじゃないか。でも、時計なんてモーツァルト的ですらある。その素直さが、彼を、その長い活動の間ずっと着実に進歩させた。それがいわゆる「ロンドン・セット」に結実して、現代にまで残ったのだと思う。

私にとってコリン・デイヴィス/コンセルトヘボウ管のロンドンセットのCDは宝物だ。ハイドンはやりようによってはあざとくなる。あざとく演奏すると浅さが見えてくる。こういうところも2時間ドラマと同じだな。そうなると私は楽しめない。コリン・デイヴィスの謙虚で真摯な(モデストな)演奏が、私にぴったり合う。1980年前後のコンセルトヘボウが一番良かったときの音と共に、小学生の時に私を戻してくれる。

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June 20, 2012

アンドレアス・シュタイアー ディアベッリ変奏曲

巷はサッカーで盛り上がっている。ドイツは1点差勝負をことごとく制して死のグループを3戦全勝で突破したのだから、人々の期待は高まって当然。しかし・・・・ゴメスの「決定力」と「運動量の少なさ」の諸刃の剣は、ある意味、良くも悪くも今年のバイエルン的な感じをドイツ代表チームにもたらしている。相手が強くなったとき、もしくはガチガチに引いてきたときにこのままで通用するとは思えない。ゴメスは精一杯頑張って走ってはいるのだ、バイエルンでプレーしている時よりもずっと。でも、本質は変えられない。後半の早い時間でクローゼに代えて、バイエルンからレアルにシフトチェンジするような感じにできるかどうか・・・・そこにかかっているように思う。

昨日は日本の梅雨時のようなじとっとした空気の中、ボンのベートーベンハウスに、アンドレアス・シュタイアーのコンサートを聴きに行った。ジャケ写とか雑誌などの評価を見て、シュタイアーに対してはかなり押しの強い、濃い感じの人物という先入観を持っていたのだが、実際はまったく違っていた。しぐさや雰囲気から、職人肌の社交的ではないタイプ、学者タイプの人であることが伝わってくるのである。演奏が終わったら、もうすぐに引っ込みたいと思っているのがありありとわかるといいますか・・・・。

でも、演奏は素晴らしかった。ディアベッリ変奏曲は曲としてはあまり感動するとかそういう曲じゃないです、正直言って。でも、ベートーベンが当時の最新の楽器であったハンマーフリューゲル(フォルテピアノ)の能力を最大限に発揮させるためにいろいろと考えたことが、彼が最後に持っていたコンラート・グラーフ社製のハンマーフリューゲルのレプリカ・・・・つまりこの曲が書かれたときに使ったであろう楽器で演奏されることで本当に良く伝わってきた。現代ピアノとハンマーフリューゲルのもっとも大きな違いは、音色の均一性にある。現代ピアノはよく言えば弱音から強音、低音から高音まで安定した、均一な音色で音が出せるようになっている・・・悪く言えば音がのっぺりしているのだと良くわかった。また、現代ピアノでは本当の弱音は出せないんだ・・・・とも。シュタイアーは音域と強さによる音色の違いを際立たせ、弱音と強音のコントラストを弱音を限りなく弱く弾くことで際立たせていた。先ごろ出たCDではここまでのコントラストは残念ながら聴けない。小さな会場でのライブだからこそ、あれほど弱く弾けたのだろう。開放状態であんなふうなささやく様な、さざなみのような音が出せるなんてね・・・・


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May 28, 2012

シベリウスの6番 ワールドエース残念

ジャンプシーズンが終わって、例年のごとくほったらかしにしてしまった。今、FIS総会が韓国で行われているから、それが終わったら何か情報が出てくるでしょう。

今年の4月から5月の中旬にかけては異常にじめじめして寒かった。ここにきてようやく明るくなったが、今度はピーカンの夏のような天気となっている。ちょうどよい春のうららかな日はほんの数日しかなかった。この時期のドイツの太陽光線はかなり危険で、サングラスの必要性を感じる。日本のほうが暑いし太陽は高いのかもしれないが、何か質が違う・・・・なんでだろう。日本の太陽は白。ここの太陽は金色。白熱灯とハロゲンランプの違いのような感じ・・・これは自分でもいい比喩だと思う。

Pfingstenの休みなのだが、そういうわけで外は危険なので、家に篭ってゆっくりとシベリウスを聴いている。交響曲第6番・・・・第四楽章の最後のコーダに何故か心を揺さぶられる・・・なんて優しい、慈しみを感じる旋律なんだろう・・・「それでいいのですよ」って諭されているような、光に包まれるような感覚が来て・・・・また変なことを言ってるなぁ。

話は変わるけど、日本ダービーのワールドエースは残念だった。
結局、母のマンデラ、おじのマンジュロと同じだったか。まだ、中身が出来上がっていないから、稽古やローテで無理できなかったんだろう。たぶん最後は本当に厳しいレースをしてこなかった経験値の差が出たと思う。本当に中身が出来ていたなら最後は突き抜けたはず。3,4歳時のマンジュロを思い出す。彼もカーブでモタモタしてしまって、直線ではいい位置に取り付けないからGIでは勝ちきれなかった。少し時間がかかるんじゃないかな。

一方、ドイツ競馬のクラシックは全然フォローできてません・・・・というか、有力馬はすぐにフランスに行っちゃうしな・・・今日はもうすぐMehl-Mülhens-Rennenやるけど、また外国馬の草刈場状態になりそうだ。


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April 07, 2012

バッハのマタイ

評価は分かれるのだろうけど、バッハの「マタイ受難曲Matthäus Passion」はヨーロッパの音楽文化における一つのマイルストーンである、という捉え方はかなり普遍性のある「事実」といっても良いレベルのものだろう。ただ、バッハの音楽は好きだが、この曲は聖書のテキストに立脚する以上、キリスト教世界観をもたない私がそれを正しく理解できるとは思えず、ある意味、それと向き合うことを今まで避けていた。

しかし、昨日の聖金曜日Karfreitag、Trinitatuskirche Kölnにおけるケルンバッハ協会(BACH-VEREIN KÖLN)主催のコンサートにおいて初めてバッハのマタイに生で接し、そういう懸念が杞憂だったことを知った。正しく理解する、なんていうこちらのしゃっちょこばった緊張はバッハのあの手この手によって懐柔され、打ち砕かれた。テキストは古語や過去形などがいっぱい出てきて紙の上では「ウッ」となってしまいがちだけど、言っていること自体は非常にシンプルな、根源的な人間の罪深さであり、バッハの音楽と共に語られる時、一つ一つの単語がとか文法だとかそういうものを超え、全体としてちゃんと意味はわかってしまうものなのだった。もちろん、もっとドイツ語力があればもっと深く理解できるのかもしれない。しかし、この曲においては、そういう理解の深さは言葉の理解ではなく、文化的背景・・・・へんな喩えだが、日本人でなければ忠臣蔵で泣けないみたいな、そういうレベルでの文化的理解が必要とされるのだった。それがある(ここの)人々にとって、この曲は非常に親しみやすいものなのだろう。大衆にわかりやすく伝えるためにバッハが意を尽くしているから・・・・・。

Trinitatuskirche Kölnはケルンでもっとも音響の良い会場の一つだと個人的に思っている。大きすぎず、しかしエアボリュームは充分にあり、ピアノ以外のアコースティック楽器と人の声による演奏会にとっては最高の場所だと思う。今回のコンサートは現在のこの曲演奏のトレンドとも言える、かなり絞った構成で行われた。音のバランスを考慮して弦と合唱の高音パートを少し増強した以外は最小限と言える構成。それでも満席(といっても500人ぐらいかな?)の状態では弦の高音が痩せてしまう印象もあり、もしかしたらバルコンで聴くのがいちばん良かったかもしれない、と思いながら聴いていた。でも、人間の耳はよくできたもので、ある程度聴き進むうちに脳内補正が働いてちゃんとしたバランスになった。

今回の演奏そのものについて評価する術をもたないけど、エヴァンゲリストとコラールが素晴らしかったことだけは言える。一方、部分部分において少しバタバタしたところがあり、まだ各パートが渾然一体となった至芸には至っていなかったかな・・・とは感じた。これから細部は練り上げられていくのだろう。とはいえ、長くて辛いかもな・・・と思っていた3時間は有意義で楽しく、瞬く間に過ぎた。

宗教音楽だからとしゃっちょこばらず、素直に聞けばよいと思った。私にとっては、マーラーやシェーンベルクよりはシュッツやバッハの方がスッとこちらに来てくれる・・・・。

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September 18, 2011

深まる秋 ザンデルリンク逝去によせて

8月の終わりにほんの少し夏らしい日があり、夏の空気の最後の抵抗の嵐があって、秋が来た。
夏が終わったね、と同僚に言ったら、夏なんてあったっけ?という返事が帰ってきた。確かに、そういう夏だった。熱い空気は日本の方に全部行ってしまっていたらしい。

敬愛するクルト・ザンデルリンクが亡くなったという、残念な知らせが届いた。
一つの時代の終わり。
しかし、幸いなことにその時代の空気に放たれた振動は、マイクに捕らえられ、記録されてディスクに封じ込められている。

1974年、東ベルリン・キリスト教会で記録された音が、今ここで鳴っている。ザンデルリンクに完璧に統率されたBSOがごく淡々と、でも真摯にシベリウスをやっている。交響曲第7番。

一切の虚飾を排したようなこの小さい交響曲が好きで、最近よく聴く。いや、正確にはこの演奏が好きなのである。他でこの曲を聴いたことはないのだから。

たぶん、巷で評判のフィンランド系の指揮者による演奏とは違うのだろう。でも・・・合うのならなんでもいいのである。彼がBSOやドレスデン・シュターツカペレと共に録音した演奏は大概、合う。なんでかわからないのだけど。レーグナーとかスウィトナーとか、同世代の他の指揮者の演奏は、オケが同じでも合わないことがままあるのに比して。

それに、DDRのアナログ録音も、変な小細工のないベルリンクラシックスのデジタルリマスターもいい。これが1枚5ユーロそこそこで買えるのは嬉しい。

こういう録音のマスターから西側でプレスされたアナログディスクとかあるんだろうか?その時代、DDRでは資源不足でいい質のレコードは作られていなかったと聞くから・・・。もし、そういうのがあるのだとしたら、一度本物のシステムで再生されたものを聴いてみたいな。その時の空気がより現実感をもって再生されるのだとしたら、そういうディスクをコレクションして、慈しむように聴き続ける・・・・そういうオーディオライフもいいかもしれないな、なんて思うのである。趣味の世界ぐらい、一つの時代に立ち止まってもいいのではないか・・・・と。

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August 07, 2011

冷夏

長らくほったらかしにしてしまった。
今年の夏は変だ・・・6月はそれなりに夏らしい日もあったのだけど、7月に入ってじめじめとした日が続き、8月になっても大きくは変わらない。

競馬はダービーすらスルーしてしまった。ヴェーラー厩舎のワンツーという驚きの(そして嬉しい)結果になったわけだけど・・・Sport1で生中継するはずだったのに、ブンデスリーガ・レーバークーゼンの練習試合が長引いたため、終わってから録画で放送するというお粗末なことになった。インターネット中継の方は見ないようにしていて、出走の時間にやきもきした挙句、ハンブルクに切り替わった途端にレポーターが結果を言いやがって・・・・それから録画を流されてもねぇ。それだったら初めからネットを見たほうが良かった。ダービーの生中継が練習試合に押し出されるなんて信じたくなかったもんだから、ネットで見るという決断できなくて。

ただ・・・・ダービー出走馬をきちんとフォローしていたわけじゃないからなんとも言えないけど・・・・出走馬のレベルが低下していることを感じてしまうのは、自分だけ??

今日は久しぶりにジャンプを見た。ヒンターツァールテンのサマーGP。モルギー強すぎ。ストッコも良かった。この2人の実力は今日の出場選手で抜きんでていた。一方、びっくりしたのはエーベンセン。方向性変えてきました。去年、ロマーレンに感じたものと同じ。オールラウンダーを目指すという意思が感じられる。注目したい。

音楽の方では最近、ちょっとブラームスがマイブームになっている。カザルスの古い録音による室内楽、ケンペのドイツ・レクイエムなど・・・・・なんで、古い録音の方がしっくり来るんだろう。ブラームスの音楽は「優しい」と思う。ちょっと逡巡する感じ・・・奥ゆかしさと、それを突き抜けようとする衝動が鬩ぐけど、最後はなんだか辻褄を合わせる。その辻褄の合わせ方に、彼のやさしさを感じる。変なことを言っているな。最近の録音は綺麗なんだけど、その奥ゆかしさみたいなのが無くて・・・・すーと流れちゃうだけになっちゃう。

最近、ドイツではクラシックCDの入手が困難になりつつあるのを感じる。クラシック音楽経済の日本への異常依存は、日本に居るとわかりずらいことかもしれない・・・。

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January 01, 2011

女神はモルギーに試練を与えたもう 2011新年、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン

2001年、ドイツで過す最初の新年・・・・ミュンヘンで年を越すことはもうないと思っていたので、何もわからないまま思い切ってガルミッシュ・パルテンキルヒェンに向かった時のことは、今でも鮮烈に覚えている。あの、葛西が勝った試合だ。もう、あれは10年も前になるんだな・・・・(遠い目)。

今日の試合を見ていて、その時のことが思い出された。あの日も晴天だった。太陽は台の上にあり、強烈な逆光でジャンプが見えない。しかし、2時ごろになると太陽が山に隠れ、急に寒々しく、暗くなってくるのだ。山の方から風が来て、山の上にあった雲と言うか霧と言うかを運んでくる。その山おろしの追い風が容赦なく技術のないジャンパーを落としていくのである・・・・。

暗くなっていく情景は、まさにリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲、頂上の賛歌を高らかに歌い上げた後の、天気が急に変わり行く場面そのものだ!と感じ入った。今も、彼が数々の作品を仕上げた山荘はガルミッシュに建っている。

おっと、話がそれてしまいそうだ。
とにかく、今日のガルミッシュの女神は、その気まぐれな二面性を存分に発揮してくれた。いや、どこか虫の居所が悪かったに違いない。あまりにも意地悪で、試合をぶち壊しにしようという悪意さえ感じるほどだった。

初めはかりそめの晴天だった。しかし、風は舞っていた。いや、なんといいますか、このままなら大丈夫と人間たちを侮らせる程度に。

しかし、ラリントが飛んだとき、ちょっと強い向かい風で煽った。ラリントはヒルサイズを超えてテレマークで立とうとしたが、体勢が崩れていたため転倒した。ビンディングがうまく外れず、足首を痛めたようだった。以前から指摘されていた、新しいビンディングの安全上の問題の一つだ。

ラリントの怪我は軽いようだった。ジュリーはゲートを下げた。当然の措置に思えた。しかし・・・ラリントの転倒後、少し待っているときに日が翳ってきて・・・・霧が降りてきた。その後、一度も向かい風は吹かなかった。散々待たされた次のボドマーが追い風に耐えに耐えて125mに降りて、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、次に飛んだマッチ・ハウタマキは強い横風にやられて122mに落ちた。今のルールでは横風に加点はなく、彼のジャンプ週間は終わってしまった(かに思えた)。その後も気まぐれな風・・・追い風じゃなく、ちょっと追い気味の横風、それも上と下で方向が違う・・・・人間の作り出した風対策のルールをあざ笑うかのような意地悪な風が吹き続けた。

こうなると、どの瞬間にどういう風が吹いていたかが飛距離に大きく影響する。字面では非常に強い追い風を受けたはずのアマンのジャンプは、彼の技術もあると思うが、まっすぐに131mに達した。しかし、オーストリアのコフラー、そしてモルゲンシュターンは飛び出し付近での強烈な、4mに近い後ろ横風で叩き落されてしまった。コフラーのジャンプ週間は完全に終わった。モルゲンシュターンは踏みとどまった。彼の124mは、女神への挑戦状だった。

一回目で終了させたのは、風でやられてしまったジャンパーたちを救済する意味合いが強かったように思う。でも、今回はジュリーたちやウォルター・ホファーを慰めこそすれ責める気にはなれない。それほど、ガルミッシュの女神は意地悪だった・・・・。一応、トーナメント全体がぶち壊しにならなずに済んだことを喜びたいと思う。

女神の寵愛を受けたアマンがモルゲンシュターンとの差をかなり縮めることに成功した。彼の調子は明らかな上昇カーブを描いている。皮肉なことに、今日の最悪の試合はトーナメントを面白くしたと思う。それが女神の狙いだったとしたら、恐るべき演出家だ。

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December 31, 2010

10年

そこかしこで花火の音が聞こえる。今年も年が明ける。
なんと、ドイツに来て10回目の年越しということになる。ミュンヘンで初めて花火の洗礼を受けた時には、そんなに長くここにいることになるとは露ほどにも思っていなかった。

この10年の間に自分は変わったのだろうか。それは、主観的にははっきりしない。たぶん、だいぶ変わっているのだろうとは思う。日本に行った時に、感覚的に戸惑っている自分を発見するから。でもコアのところは変わらないようにも思う。

一方、ドイツはこの10年でずいぶん変わった。まだ、いわゆるドイツという国の矜持というか、そういうものが残っていた2000年。通貨はマルクだった。マルクがユーロに変わり、ドイツはグローバル化の波にさらわれて、流されていっている。いまや、日本の媒体で見聞きするような、ステレオタイプな古き良きドイツはすでに失われていると思う。そのカケラを見つけることすら難しくなりつつある。

最近、それをCDの中に見つけた。旧DDR、ドイツ・シャルプラッテンの音源の中に。Edel recordsが、その音源の中からBerlin Classicsのレーベルで廉価版CDを出している。安さにつられてあまり期待せずにいくつか買ってみたのだが・・・これがほとんどハズレがないのである。それを聞くと、最近のCDを買うのが馬鹿らしく思えてくるのだ。それらの録音からは、真摯で妥協のない芸術の追求と、誠実な音楽製作が聞こえる。そして、その頃のドイツ人が持っていた共通の意識・・・いや、波動といったほうがいいと思うが、を感じることができるのである。同じものを食べ、同じ教育を受け、同じ文化的背景を持つ集団だからこそできる、ほんのちょっとの「溜め」のようなものまでが「無意識の意識」で揃うアンサンブルがそこにはあるのを感じる。

もしかしたら、そういうものは70年代には西側ではもう失われつつあったのかもしれない。それが東側には80年代まで残っていた。(東)ベルリン放送交響楽団、ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァンドハウス管・・・これらの楽団によるアナログ最後期の録音は、最高の録音場所(ベルリン・キリスト教会(カラヤンがよく使った西側のイエス・キリスト教会とは別物)、ドレスデン・ルカス教会など)での贅沢なセッション録音ということもあって、クオリティの面でもまったく問題ない。それどころか、売ることを意識していない、恣意的な感じがない素直さにおいて、現代の録音よりも勝っている。

しかし・・・そのCDに記録されている芸術水準の高さと4.99ユーロで売られる廉価版CDのチープさのギャップは物凄い。きちんとクレジットすらされていないCDを見ると悲しくなってしまう。このCDに、現在のドイツが象徴されていると言ったら言いすぎだろうか?一部の心ある人たちの頑張りは大量消費社会の中で埋もれていってしまい、キャッチーな標語や表面的な輝きが幅を利かす社会に・・・・・。

もう少し、ドイツという国を深く知りたい。10年かかって、ようやくそう思うようになった。
そうすれば、上に書いたものが表面的な理解でしかないと知ることになると思う。手遅れになる前に。そのためにすべきことは、ここの言葉をちゃんと使いコミュニケーションを取ること。2010年はそのベースを築くのに費やした。2011年は実践を「始める」年にしたい。そういう大それたことを考えられる現状の安定に感謝しつつ、新年を迎えようと思う。

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November 06, 2010

ブルックナーの8番 WDRシンフォニーオーケストラ=サラステ

10月はケルンの秋にしては寒くてからっとしていた。この調子でこのまま冬に突入かと思ったが、ここにきて急にジメッとした、ある意味ケルンらしい気候になってしまった。ここ数日は夏の暖かい空気が冬の冷たい空気に最後の戦いを挑んでいるかのような、不安定な天気になっている。風でせっかくの紅葉も全部散ってしまった。気が滅入る。

大風が吹きつける中をブルックナーを聞きにフィルハーモニーへ。今シーズンからユッカ・ペッカ・サラステが主席指揮者就任したWDRシンフォニーオーケストラ。ビシュコフ退任の理由はアナウンスされていないが、すでに去年から彼の出演は極端に減ってサラステの客演が増えていたから、予定された交代だったのだろう。

ブルックナーは結構嫌いじゃない・・・・でも、家で聞くにはちょっとしんどすぎることもあって、なかなかCDプレーヤーに入ることがない。音楽史の中でも最高傑作の一つといわれるブル8も、結局はラジオとかでやっていたら齧るけど、CDは買っていない。

でも・・・やっぱり生で聞くとすごい。80分があっという間に過ぎてしまった。あのダイナミックレンジ-かすかな羽音のようなピチカートからカタい塊のようなバスチューバの低音まで-をオーディオで再現するのはちょっと無理な気がする。だいいち、それをきちんと録音できたとしても、それをちゃんとしたバランスで再生できる装置はなかなかないと思う。だから、録音作品を作る方はそれを見越して音楽的バランスが取れるようにダイナミックレンジを抑えるだろう。だから、生と再生は絶対に同じようにはならない。

逆に言えば、再生の方が音楽的バランスが取りやすいと思う。今日の演奏にしても、たぶんバスチューバや金管を通常よりも増強していたのか、弦が弱いバランスになっていた。ケルンフィルハーモニーは間接音が弱いので、それがより強調された形になっていた。ピラミッドバランスと言えば聞こえはいいのだが。弦の人たちはフォルテでは頑張って、サラステも弦の音量を高めに維持していたように思うけど・・・。今日は湿度が高かったことも弦の音が伸びなかった一因かもしれない。演奏のレベルは非常に高かっただけに、ちょっとモコモコした感じになっていたのが残念だった。

サラステは大きな人じゃないが、腕が長く手が異常に大きいので指揮振りはダイナミック。あと・・・演奏中に「スッ」っという音が良く聞こえてなんだろうな、と思っていたら、彼の鼻息だった・・・・。ビシュコフの唸り声よりも良く聞こえる。結構気になるんだが、なんとかならんものかな。

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