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July 20, 2014

続々 悩ましいオーディオ

オーディオのことは正直、悩ましい。結構、ずっと。
2012年のクリスマス前にこんなことを書いていた。真空管の問題は6550Cに換えて一応の改善を見たものの、依然としてマッチングにおいて多少の問題が残されたままになっている。そして

ソースの粗を包み隠さず出してしまう。録音にまったく問題がないCDが少ないことに気づかされてしまうのである・・・・。

と書いていたが、そういう感覚、は消えていない。
それどころか、電源やセッティングを詰めて行くとさらにその性向が強くなってしまって、はっきりいって困っている。

たとえば、ちょっと古い録音だが演奏が良いので聞きたいCD(リマスターして、リイシューしたようなやつ)が結構あるが、そういうのがどんどん聴けなくなってしまった。そういうCDでは、高音が少し歪んでいたり、バックグラウンドにガサゴソしたような音(おそらく、マスターテープの劣化に起因するもの)が入っていることが多い。特にピアノのソロでは、アタックが強いことがあってか、マイクが飽和したような音が入っていることがある。リマスター時にピークの頭が潰れてしまっているのでは?と思うようなこともある。

そういうCDがあまりに多いので、何かシステムに根本的な問題があるんじゃないかと(本気で)思った。そこで、古いマランツを引っ張り出してきて、ヘッドホンでそういうCDをモニターしてみた結果、ソースにそういう音が確かに入っていることがわかって安心した。しかし、そのマランツではヘッドホンでモニターして、意識を集中してようやくわかる程度のものだ。それがオクターブ-ソニックスで聴くと明確に感じられてしまうのだった。

結局、この正直さは彼らのキャラクターなのであった。
良否の問題でいえば、間違いなく「良」である。悪いものは、正しくそのように。そしていいCDは良く鳴るのだから。しかし、文句のなく鳴るCDは感覚的に全体の2割ぐらいかなぁ・・・。その2割の中に、聞きたい演奏が入っているのがまぁ3割だとしたら、全体の6%しか(満足して)聴けるCDが無いということになる。なんとかしようと、平行タイプのおとなしい音調バランスのスピーカーケーブルに換え、ピンケーブルを元使っていたクオリティの低いものに戻したりしたけど、基本的には変わらなかった。

また、ほんのちょっとした気候や電源状況、体調によってパフォーマンスが変わるのも・・・・いや、機械が悪いんじゃない。それをちゃんと使いこなせない方が悪いんだ、って彼らに言われてしまう感じなのだ。

ということで、少し疲れていたり、暑かったりするとアンプに火を入れないで済ましてしまう自分がいる。

そんなこんなで、今日も日曜だけど蒸し暑く、雷も鳴ったりしているので、アンプの火は消えたままだった(遠く離れた日本も同じような天気だというのが興味深い)。そして鬱々とこんなことを考えつつ、その無聊を慰めようと、「長岡鉄男 観音力アンソロジー」を引っ張り出してきて読んでいたのだが、その中の「原音再生」と題されたコラム(音楽の友1967年5月号掲載)に、自分のオーディオの現状に対するヒントがバッチリ書かれていてビックリした。

要約すれば、目の前で聞くナマの音はとても荒いものであって、一方で高級オーディオの静かな音がナマに近いかどうかに疑問を呈し、いわゆる(良くないとされる)シャリシャリした音の方が本当はナマに近いのではないか、というようなことが論じられている。

このコラムは有名な「八十万説」が提唱された時のものなので、知っている人も多いと思う。ほとんど半世紀も前に、こんなことを書いている長岡鉄男は凄いと正直、思う。

自分なりにそれを一般化してみると、ナマの音をオーディオからそのまま出したら聴いていられないのだが、完全にデフォルメした夢見心地のような音もマズく、その間のどこかにちょうどいい「いい塩梅」というところがあり、それが各人によって、装置によって違う、ということなんだろう。

5年間(オクターブが来てからは2年)、ドイツのオーディオと付き合ってみて、どうもドイツの音作りというのは、日本人の一般的志向よりもナマの音を出したい方向に振れていると感じる。特に倍音成分をキッチリ出そうとする。そしてそれはドイツ語と日本語の違いに起因しているように思うのだ。

それを感じたのは、このオクターブ-ソニックスでドイツ語のヒアリングテキストCDをかけてみた時だった。日本語のアナウンスの後、ドイツ語のテキストが読み上げられるというやつだ。これで聞くと、ドイツ語はバッチリ聞こえるが、日本語はかなり強く感じられるのだ。おかしなものだ。おそらく、日本製の装置では日本語がちょうどよくなり、ドイツ語が弱く感じられるのではないだろうか。

で、思ったこと。オーディオの満足、というのは、そういったところでの「塩梅」が自分と装置で近いことが非常に重要なんだろう、ということだ。食べ物における塩梅とほとんど同じだ。そこのところがちょっとでもずれていると、クオリティの問題は別にして、毎日食べ続けることができない。

残念ながら、今の装置たちと自分の塩梅がずれている、と認めざるを得ないのだった。特定のセンシティブな音域が強く感じられすぎるため、録音の瑕疵に耳が行ってしまうし、ボーカルや弦、ピアノが近接マイクで録られているものがキツく感じられてしまうのだ。また、音の明度が高すぎる(まぶしすぎる)感覚もある。30分はいいんだけど、毎日はきついというのが、正直なところだろう。

今のオクターブ-ソニックスで自分が満足するには、おそらくもう少し大きな部屋で直接音と間接音の比を変えてやり、間接音の方で調音する必要がある。それは、彼らの本来要求している/出せるパワーを考えても理にかなっている。だが・・・それには生活環境の大きな変更が必要であり、正直、そんなパワーが今はない。

しかし、小手先でなんとかできる問題でないことも事実。一旦、退くか・・・?

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