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June 02, 2013

球を替えてみる (1/4) 序章

今日はもう6月か。つまりは夏に突入したということになっているのだが、今年は春があったという気がしないなぁ。確かに春らしい日は何日かはあった。しかしその陽気は長続きはせず、陰気な寒い日々に逆戻りということを繰り返している。今日も寒い風が吹き付けていて、いまだに暖房を点けている有様。今年の農作物は大丈夫だろうか。

ただ、こういう気候は引き篭もりオーディオをするには悪くない。ずっと決まらないでいるセッティングに関しては、思い切って「音場感」を求めないことにした。オーディオで音楽を楽しむのに必要なものは何か?と考えた時、音場感はある程度あればいい、という結論に至った。理由は単純だ。CDに入っている音場情報は製作者の意図した音場であって、そして、それがまともである保障はまったくないからだ。一方、音像感、定位感、帯域バランスに関してはほとんどのCDでだいたいまともだと思う。となれば、音場感の再現性に関しては甘めのセッティングの方が、楽しめるCDが増えるということになる。音場の優れたCDであっても、他の要素を高めた方が音楽的には良いことも多い。

トレードオフは、一部の素晴らしい音場が入ったCDでのオーディオ的快感と、その音場感によって生み出される、いわゆる「生っぽい雰囲気」が得られにくくなることだ。実は生の音楽を聞きに行って、視覚情報なしで音の出所がはっきりと聞き取れる状況は、ほとんど無い・・・つまり、定位感や音像感というものは結構、希薄だったりする。しかし、あの、空気の存在感・・・演奏者との距離感・・・そういうものが臨場感として感じられるのだが、それが生の音楽には普通にあって、その再現性がオーディオでは音場感というファクターで測られる、ということになっている。だが「生っぽい音場再現をすること」が、音楽を楽しむために必須かどうかはまた別の話だと思う。生は生、オーディオはオーディオと割り切ることが、「ハイエンドではないオーディオ」においては必要なんだと思う。帯域バランスと音像のリアリティ、時間軸上の揃い(によってもたらされる音のブレンドとハーモナイズ)、そして情緒的な「気と熱の波」・・・・こういうもののほうが音場感よりもずっと大事だと、個人的には思う。

ということでオフセンター配置はすっぱりやめて、スピーカーは帯域バランスが最も良くなる位置に対称配置にした。いままででもっとも壁に近く、もっとも左右の距離を離したセッティングだ。部屋の中に目いっぱい大きな三角形を作り、その中にすっぽり入ってしまうような位置にリスニングポイントを置いた。以前との違いはレーザー距離計によりどこが部屋の中心かが完璧にわかることだ。これにより、完全な左右対称が実現し、多少スピーカーが離れていてもある程度の音場感を確保することができた。

帯域バランスと定位感は大幅に改善し、スイートエリアが大きく広がった。広く深い音場感は失われたが、高さ方向は逆に改善し、結果的に音が前に来るようになった。そして、音楽を楽しめるようになった。リスニング時間が増えたことがそれを物語っている。

ただ、問題が一つ生じた。部屋のど真ん中にラックとリスニングポイントが並ぶと、機器の発するノイズがリスニングポイントに集中してしまうのであった。ほんの小さなトランスの唸りや、CDの回転ノイズが耳障りで仕方が無い。そこで、ラックをオフセンター配置にした。これで問題はなくなった。

一つ大きな問題にけりがついたら、次に、ずっと胸につっかえていたわだかまりが大きくなった。それは球・・・真空管の鳴きとバイアス電圧の不安定性の問題だった。

(続く)

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