« シーズン回顧の補遺 | Main | ピチピチスーツがやってくる »

April 07, 2012

バッハのマタイ

評価は分かれるのだろうけど、バッハの「マタイ受難曲Matthäus Passion」はヨーロッパの音楽文化における一つのマイルストーンである、という捉え方はかなり普遍性のある「事実」といっても良いレベルのものだろう。ただ、バッハの音楽は好きだが、この曲は聖書のテキストに立脚する以上、キリスト教世界観をもたない私がそれを正しく理解できるとは思えず、ある意味、それと向き合うことを今まで避けていた。

しかし、昨日の聖金曜日Karfreitag、Trinitatuskirche Kölnにおけるケルンバッハ協会(BACH-VEREIN KÖLN)主催のコンサートにおいて初めてバッハのマタイに生で接し、そういう懸念が杞憂だったことを知った。正しく理解する、なんていうこちらのしゃっちょこばった緊張はバッハのあの手この手によって懐柔され、打ち砕かれた。テキストは古語や過去形などがいっぱい出てきて紙の上では「ウッ」となってしまいがちだけど、言っていること自体は非常にシンプルな、根源的な人間の罪深さであり、バッハの音楽と共に語られる時、一つ一つの単語がとか文法だとかそういうものを超え、全体としてちゃんと意味はわかってしまうものなのだった。もちろん、もっとドイツ語力があればもっと深く理解できるのかもしれない。しかし、この曲においては、そういう理解の深さは言葉の理解ではなく、文化的背景・・・・へんな喩えだが、日本人でなければ忠臣蔵で泣けないみたいな、そういうレベルでの文化的理解が必要とされるのだった。それがある(ここの)人々にとって、この曲は非常に親しみやすいものなのだろう。大衆にわかりやすく伝えるためにバッハが意を尽くしているから・・・・・。

Trinitatuskirche Kölnはケルンでもっとも音響の良い会場の一つだと個人的に思っている。大きすぎず、しかしエアボリュームは充分にあり、ピアノ以外のアコースティック楽器と人の声による演奏会にとっては最高の場所だと思う。今回のコンサートは現在のこの曲演奏のトレンドとも言える、かなり絞った構成で行われた。音のバランスを考慮して弦と合唱の高音パートを少し増強した以外は最小限と言える構成。それでも満席(といっても500人ぐらいかな?)の状態では弦の高音が痩せてしまう印象もあり、もしかしたらバルコンで聴くのがいちばん良かったかもしれない、と思いながら聴いていた。でも、人間の耳はよくできたもので、ある程度聴き進むうちに脳内補正が働いてちゃんとしたバランスになった。

今回の演奏そのものについて評価する術をもたないけど、エヴァンゲリストとコラールが素晴らしかったことだけは言える。一方、部分部分において少しバタバタしたところがあり、まだ各パートが渾然一体となった至芸には至っていなかったかな・・・とは感じた。これから細部は練り上げられていくのだろう。とはいえ、長くて辛いかもな・・・と思っていた3時間は有意義で楽しく、瞬く間に過ぎた。

宗教音楽だからとしゃっちょこばらず、素直に聞けばよいと思った。私にとっては、マーラーやシェーンベルクよりはシュッツやバッハの方がスッとこちらに来てくれる・・・・。

|

« シーズン回顧の補遺 | Main | ピチピチスーツがやってくる »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/64278/54413386

Listed below are links to weblogs that reference バッハのマタイ:

« シーズン回顧の補遺 | Main | ピチピチスーツがやってくる »