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April 30, 2011

アダム・マリシュ ~スキージャンパーのプライドのかたち (4/4)

このようにみてくると、マリシュのキャリアと4つのピーク-長野五輪以前の95-97年、栄光の00-03年、トリノ後の07年、そしてバンクーバー以降の10/11年-はスキージャンプ競技のルールとトレンドの変遷と共にあることがわかる。そして、彼のピークは常にトレンドの変遷の少し前に訪れているのである。これが何を意味するのかは自明であろう。彼は自分の特長を良く知り、それをルール・マテリアルの変化の流れの中で最大限に発揮させるにはどうしたらいいかを考え、常に他人に一歩先んじてきたのだ。つまり、彼の強さとはその洞察力と先見性にあったという事ができるだろう。

だが、もう一歩踏み込んで考えると、一度成功したアスリートがこのように自分の技術を変化させるのは容易なことではないと気づく。トップアスリートであればあるほど、自分を信じ、過去の自分の成功と感覚に囚われる。感覚が非常に大事な繊細なジャンプ競技であればなおさらだ。飛べなくなると、常人なら自分の技術ではなくルールに原因を求めるか、自分の技術が何らかの点で以前と違ってしまっていると考えるのが普通だ。こういう「こだわり」はスキージャンパーのプライドの一つのかたちのはず。他人との争いよりも、自分との戦いがメインであるこの特殊な競技においては、それなくしてはモチベーションを保てないのではないか。

なのに、マリシュは何度も自分のジャンプを大きく変えた。自らのスピードと軽さを最大限に生かすために。時には過去の自分を大胆に捨て去る必要があっただろう。ここにようやく、彼の強さの源はその「謙虚さ」にあったのだという結論に至った。謙虚に自分を観察し、他人の助言を受け入れて、自分を変えることができる、思考の柔軟性と素直さが彼を何度もトップに押し上げたのではないか。

自分を変えることは怖い。誰だって自分のアイデンティティを失いたくないから。それは変わらない部分の強さをきちんと持っている人間にしかできないことなんだと思う。スキージャンプという自分にはどうすることもできない部分の大きい競技においては、小さなプライドを捨てて自分を状況に合わせることのできるという、このマリシュの謙虚さ・素直さこそが勝つために必要な要素なのだろう。

もしかしたら・・・・ポーランド人がジャンプを愛し、マリシュがあれほどの尊敬を集めるに至った理由もそこにあるのかもしれないな。ドイツとロシアという二つの大国にはさまれ、生き残っていくためにはプライドを心の奥にしまい、時代の荒波に対応しなくてはならなかったポーランド民族のアイデンティティを、彼は体現する存在だったのではないか。強国の恵まれた選手たちに対し、柳のようなしなやかさをもって対峙する彼に自分たちの存在を重ね合わせて・・・・。

今後、マリシュが指導者の道を歩むのか、それとも言われているようにモータースポーツに身を投じるのか、はたまたもっと大きな仕事に携わっていくのかわからないけど、この謙虚さを失わない限り成功するだろうと確信している。彼の未来に幸あれ!

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