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April 28, 2011

アダム・マリシュ ~スキージャンパーのプライドのかたち (3/4)

2004年、長く続いたマリシュの栄光にも陰りが訪れる。先行する者に追いつき、追い越そうとする者がいるプロスポーツの世界では当然のことだ。年々厳しくなるスーツのレギュレーション、そしてそれに対抗するように加熱するマテリアル開発。その点においてポーランドと言う傍流チームにおいてはどうしても埋められないビハインド。そして、アホネン-パワーと体格を兼ね備えた、完璧なジャンパーの復権。ちょっとした怪我を契機として、自らが生み出したパワー化のうねりに飲み込まれていったのだった。2006年、トリノオリンピックでは昇竜の勢いの若きモルゲンシュターンを、ピークを過ぎたベテランの一人として引き立てる役に成り下がった・・・・かのように一般的には見られていた。

しかし、その頃マリシュは着々と次の手を打っていた。マテリアル面・資金面でのビハインドを解消するべくエディ・フェーデラーとマネジメント契約、そして、オーストリア・フィンランド双方に太いパイプを持つレピストのヘッドコーチへの招聘。また、技術面では浮力増大への転換点を見極めて「前へ」の方向転換をいち早く模索していることを感じさせるジャンプが05/06シーズンから見られるようになる。風に助けられたかのように見えたホルメンコーレンでの久しぶりの勝利、そして、長身であらずんば・・・のプラニツァ、フリーガー祭りでの2連続シングル入り。今思えば、このとき既にマリシュは自らの復権を確信していたに違いない。

果たして、迎えた06/07シーズン。序盤こそ突然現われた2つの新星、シュリーレンツァウアーとヤコブセンの後塵を拝するも、ジャンプ週間後半から文字通り「手がつけられない」往年の強さを取り戻した。世界選手権金メダル、ノルディックトーナメント、そしてプラニツァでのフライング3連勝。このときのマリシュのジャンプは、とにかくサッツでスピードを殺さないという、強烈に前がかりでリスキーなジャンプに変わっていた。スキー先端部の革新による浮力の増大、アプローチの改善による飛び出しスピードの問題の解消・・・・これらを総合的にサポートするチーム力のアップ。地道なカイゼンが実を結んだのだった。また、BMIルールの導入は一時的には低身長ジャンパーに有利に働いていたようにも思う。

が・・・・またしても試練が訪れる。BMIルールは一時的に高身長ジャンパーにマイナスに働いたが、彼らがトレーニングによりその問題を解消し始めると、骨量が少ないというマリシュの素晴らしい利点がなくなってしまうという側面が大きくなってきた。スーツがさらにピチピチになり、浮力増大のトレンドにブレーキが掛かったこともある。マリシュはオーストリア系パワージャンパーに徐々に対抗できなくなっていく。そういう状況で、長年の疲れとも言える身体的な故障と共にモチベーションの低下傾向も見えるようになる。引退を意識した発言がしばしば聞かれるようになった。08/09シーズンの総合13位という結果は「終わってしまった」と言われても仕方のないものだった。

しかし・・・・時の流れは彼をもう一度トップへと引き戻す。ビンディングの革新による急激なスキーの浮力の増大だった。スキーを安定させることのできるこの革新により、短いスキーであってもサッツ後のスキーの上がりを早くできるようになった。マリシュは自分の適正体重で短いスキーを履き、すばやいサッツから距離を伸ばすことに成功した。同じ技術的・体格的傾向を持つアマンにこそ負けたが、バンクーバー・オリンピックにおいて二つの銀メダルをもたらしたパフォーマンスは、彼としては自分的に納得の行くものであったに違いない。

(続く)

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