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April 24, 2011

アダム・マリシュ ~スキージャンパーのプライドのかたち (2/4)

マリシュを“選ばれし者”として認識したのは、長野五輪の前のシーズン、白馬でのWCだった。その時の印象は「速い!」だったと記憶している。日本選手との比較では原田に似ていた。サッツではかなり上に飛びながらも、軽さと長いスキーによる潤沢な浮力を利して落ちないというジャンプ。白馬で勝ったということは、彼は一年後のオリンピックにおける日本選手のライバルだということを意味していた。95/96, 96/97の2シーズンで3勝し、総合でも連続してトップ10に入っている。

しかし長野五輪の97/98シーズン、彼は大スランプに陥る。その理由については資料がないので定かではない・・・・今思えば、長野は彼にとって身体特徴上もっとも有利なオリンピックだったはずなのだが。
長野五輪は惨敗に終わった。You Tubeでその時の映像を見ることができるのだが、マキシマムが低くて上の段に入れないままストンと落ちてしまうようなジャンプになっている。サッツの方向性を変えようとして上手く行かなかったという感じがする。

しかも、五輪後は146%ルールの導入が待っていた。低身長であることの有利さがゼロになるこのルール改正により、低身長ジャンパーは根こそぎ翼をもぎ取られることになる。私が長身痩躯時代と呼んでいるピリオドの到来だった。マリシュも長い長い低迷に入ってしまう。

しかし、00/01年のジャンプ週間、オーベルストドルフ。彼の2回目のジャンプには度肝を抜かれた・・・K115の台で132.5m・・・長野の原田137m並の衝撃だった。彼が高く、速いジャンプを自分のものにしたことを示していた。これを皮切りにしてインスブルックから破竹の五連勝、ジャンプ週間制覇、世界選手権金、そして総合三連覇へと突き進んでいった。長身痩躯時代を代表する存在であったハンナヴァルトに対するアンチテーゼを体現する彼のジャンプは、文字通りジャンパーの意識を転換させた。減量によりスキーの浮力の減少を補おうとするのではなく、サッツでのゲインを重視する方向への原点回帰が進んだ。そして、彼の成功は、低身長であることがルール上不利なのではなく、スキーが長かった頃の記憶にすがり、その体でスキーの浮力を頼りにしようとするのが間違っているのだということを示していた。

(続く)

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