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January 01, 2011

女神はモルギーに試練を与えたもう 2011新年、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン

2001年、ドイツで過す最初の新年・・・・ミュンヘンで年を越すことはもうないと思っていたので、何もわからないまま思い切ってガルミッシュ・パルテンキルヒェンに向かった時のことは、今でも鮮烈に覚えている。あの、葛西が勝った試合だ。もう、あれは10年も前になるんだな・・・・(遠い目)。

今日の試合を見ていて、その時のことが思い出された。あの日も晴天だった。太陽は台の上にあり、強烈な逆光でジャンプが見えない。しかし、2時ごろになると太陽が山に隠れ、急に寒々しく、暗くなってくるのだ。山の方から風が来て、山の上にあった雲と言うか霧と言うかを運んでくる。その山おろしの追い風が容赦なく技術のないジャンパーを落としていくのである・・・・。

暗くなっていく情景は、まさにリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲、頂上の賛歌を高らかに歌い上げた後の、天気が急に変わり行く場面そのものだ!と感じ入った。今も、彼が数々の作品を仕上げた山荘はガルミッシュに建っている。

おっと、話がそれてしまいそうだ。
とにかく、今日のガルミッシュの女神は、その気まぐれな二面性を存分に発揮してくれた。いや、どこか虫の居所が悪かったに違いない。あまりにも意地悪で、試合をぶち壊しにしようという悪意さえ感じるほどだった。

初めはかりそめの晴天だった。しかし、風は舞っていた。いや、なんといいますか、このままなら大丈夫と人間たちを侮らせる程度に。

しかし、ラリントが飛んだとき、ちょっと強い向かい風で煽った。ラリントはヒルサイズを超えてテレマークで立とうとしたが、体勢が崩れていたため転倒した。ビンディングがうまく外れず、足首を痛めたようだった。以前から指摘されていた、新しいビンディングの安全上の問題の一つだ。

ラリントの怪我は軽いようだった。ジュリーはゲートを下げた。当然の措置に思えた。しかし・・・ラリントの転倒後、少し待っているときに日が翳ってきて・・・・霧が降りてきた。その後、一度も向かい風は吹かなかった。散々待たされた次のボドマーが追い風に耐えに耐えて125mに降りて、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、次に飛んだマッチ・ハウタマキは強い横風にやられて122mに落ちた。今のルールでは横風に加点はなく、彼のジャンプ週間は終わってしまった(かに思えた)。その後も気まぐれな風・・・追い風じゃなく、ちょっと追い気味の横風、それも上と下で方向が違う・・・・人間の作り出した風対策のルールをあざ笑うかのような意地悪な風が吹き続けた。

こうなると、どの瞬間にどういう風が吹いていたかが飛距離に大きく影響する。字面では非常に強い追い風を受けたはずのアマンのジャンプは、彼の技術もあると思うが、まっすぐに131mに達した。しかし、オーストリアのコフラー、そしてモルゲンシュターンは飛び出し付近での強烈な、4mに近い後ろ横風で叩き落されてしまった。コフラーのジャンプ週間は完全に終わった。モルゲンシュターンは踏みとどまった。彼の124mは、女神への挑戦状だった。

一回目で終了させたのは、風でやられてしまったジャンパーたちを救済する意味合いが強かったように思う。でも、今回はジュリーたちやウォルター・ホファーを慰めこそすれ責める気にはなれない。それほど、ガルミッシュの女神は意地悪だった・・・・。一応、トーナメント全体がぶち壊しにならなずに済んだことを喜びたいと思う。

女神の寵愛を受けたアマンがモルゲンシュターンとの差をかなり縮めることに成功した。彼の調子は明らかな上昇カーブを描いている。皮肉なことに、今日の最悪の試合はトーナメントを面白くしたと思う。それが女神の狙いだったとしたら、恐るべき演出家だ。

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