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June 29, 2008

Romanische Nacht

もう7月になろうとしている。競馬の方も、いつの間にかもうダービー週間になっている。今日はなかなかの好メンバーのそろったハンザ賞があるし、来週はダービーだ。月日は飛ぶように去っていく。巷ではサッカーの欧州選手権で盛り上がっていて、バカンスシーズンと言うこともあり何かこう、そわそわした雰囲気だ。ちょっと影響されてしまって、物事が手につかない感じになってしまっている。この時期、サマータイムのこともあり夜が長い。10時でも外で本が読めるぐらいに明るく、人々は長い夜をベランダなどで過ごしている。

そういうわけで、かどうかは知らないけど、ケルンではもう20年も前からRomanischer Sommerという音楽祭が開かれている。Romanischとはローマ時代から続く古い建物を使ってコンサートをやろうというコンセプトを表していて、古楽に限らずいろんなジャンルの音楽をそういう場で演奏することで何か化学反応を起こそうということだろう。

先週の金曜に、Romanishe Nachtと題して、その音楽祭の最後を飾るコンサートがSt. Maria in Kaptolで行われた。7時半から始まり2時に終わるという、壮大なコンサートであった。

このコンサートのコンセプトは、一言で表せば民俗音楽、特に雅楽と西洋バロック音楽の融合、と言うところだと思う。教会という場を考えれば、プログラムの中心となるのはバッハのモテット、ハインリヒ・シュッツのMusikalische Exequien<音楽による死者のためのミサ曲>ということになるが、それに対比する形で雅楽器”笙”の演奏家である宮田まゆみ、打楽器の中村功、アコーデオンのStefan Hussongという多彩なソリストにより、細川俊夫の作品が演奏された。これらの作品群はすべて「響き」-教会という場においてどのような響きが作られるか、ということに主眼が置かれ、選曲されていると思った。

6時間にわたるコンサート、そのすべてにコメントするのは無理である(汗)。音楽祭のファイナルで座席指定なしということもあり、とにかく人が多かった。St. Maria im Kapitolは音楽的においしい場所は限られていることを知っていたので、開演の1時間以上前に行ったのだが、もう百人以上並んでいていい席は取れなかった。一番人が多いときは半数が立ち見みたいな状態になっていた。準備のいい人はゴザや折りたたみ椅子、クッションなどを持参していたので、毎年こうなんだろうな。

ということでコンサートの前半は、せっかくの教会の響きが人に吸われてしまうし、人が多ければそのぶん暗騒音が多くなると言うこともあって、音的には厳しい状態になってしまっていたのが残念だった。そんな中でも、細川俊夫の新作、“混声合唱と打楽器のための二つの日本唱歌<さくら>と<五木の子守唄>”(邦題は不明なので直訳です:以下細川作品については同様)は特に日本人の自分には非常に親しみやすく印象的な作品だった。風鈴かな?や拍子木のような打楽器が効果的に用いられ、なんといいますか・・・“間”が作られていた。そういった意味でももっとノイズの少ない状態で聞きたかったというのが、正直なところだった。

後半に入って人が少なくなり空気も清浄になってきてようやく、このコンサートのコンセプトが明確に現れだした。いい席に移り、今日の主眼ともいえるハインリヒ・シュッツの音楽と笙の音を堪能することができた。話には聞いていたが、一度も聴いたことがなかったシュッツの音楽。先日のモンテヴェルディにもびっくりしたが、このシュッツの音楽も素晴らしかった。一言で表せば、その音楽は素直なのだった。実直といってもいい。わたしには、作曲家としての彼の意図は、「作曲家の意図を隠すること」にあるのではないかというふうに聞こえる。テキストと歌を通じて地上と天上をつなぐことに集中している、といいかえることができるだろうか。これに比べたらバッハですら技巧的で、モンテヴェルディは装飾的に思える。いわんや後期バロックからロマン派の音楽とは立ち位置がまるで違う・・・・。近いのは作曲家が死を意識したときにみせる無の境地で作った佳作たちか。シュッツの音楽は教会と聖書と共にあり、現代のマスメディアに乗ることはないだろう。貴重な体験だった。

コンサートの最初と最後に、笙とアコーディオンのための“調子”が演奏された。最初のは人が多くてざわざわした状態だったので良くわからなかったが、最後まで残った100人ぐらいの観客のみで聴いたその音は・・・地上のものではないようだった。笙はバルコンで演奏され、教会の中央で演奏されるアコーディオンと絶妙なブレンドをした。まるで、天上から音が降ってくるような、どこから鳴っているのかわからないような不思議な音場が造成され、微妙に変化していく笙の和音・・・にアコーディオンの高音が乗り、まるで教会が一つの楽器になったような印象を与えた。アコーディオンの音は笙の音に驚くべき親和性を見せた。おそらくは発音方式が似ているせいだろう。これはCDなどで聴けるものではない。これだけでも、夜遅くまで粘っていた甲斐があった。早く帰ってしまったひとには、心よりの憐憫の情を禁じえない。

家に帰ったら3時を回っていた。さすがに疲れた。このコンサート、音楽やコンセプトは間違いなく素晴らしかったが、それを生かすために運営的な部分でもうちょっと何とかしたほうがいいぞ・・・このままじゃ演奏する人たちもかわいそうだと思う。聴く方からすれば、これは生のコンサートの根源的な問題であり、結局は音楽を日常として愉しむためには再生音楽も必要であるという考えに至るわけである・・・とはいえ、一方では今回のように、その場でなければ味わえないものも絶対的にある。現状では両方にお金と時間を費やすことは無理だから、難しい。

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Comments

実はね、ペーター・ノイマン指揮のシュッツの、前夜リハ、行ってました! 関係者以外は、殆ど居ませんでした

客に音が吸収されず、天上の音色を味わいましたが、やはり、本番に皆さん、ピークを持っていくでしょうから、あっちを立てればこっちが立たずで。

当日は、サンルームを締め切って、あの、祭壇手前の反響を演出し、ラジカセデッキで、中継開始から、聴きました。

ずっと、感想をメモしながらで、シュッツの出演者の歌手に、後で、手渡しました。

ラジオからも、その曲のアプローズが、別格だったのが、分かりましたよ。

Posted by: | June 29, 2008 at 10:51 PM

シュッツの音楽は素晴らしかったし、演奏も最高でした!
深夜0時を回っているにもかかわらず、まだ観客はずいぶん残っていました・・・たぶん、みんなここがメインだと知っていたんですね。だから、リハはもっと音響が良かっただろうなと思います。うらやましい。

Posted by: かずやん | June 30, 2008 at 06:49 AM

モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス、ブラームス、バッハに、会って来ましたよ

以下、URL、報告頁です(文章内、シュッツにも触れています)

http://www.geocities.jp/spacific_bluerose/EUandI.html

頁内、各リンク部分は、報告の動画・画像その他に飛びます

Posted by: | August 15, 2008 at 05:31 PM

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