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June 01, 2008

モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り

古楽への扉は突然開かれた。

実は、いくつかの伏線はあった。
3年ぐらい前に、一枚のCDを買った。現代の天才ホルン奏者、バボラークがバッハの「ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ」をホルンで吹き上げると話題になったCDだ。これを聴いて、何故かバッハの音楽に惹かれたらしい。「らしい」というのは、そのとき、そう意識したわけではないからである。次に、ユリア・フィッシャーのコンサートのアンコールで聴いたバッハのパルティータ。そのCDも買った。その後すぐ、ヨーヨー・マの無伴奏チェロをライヴで聴く機会に恵まれた。その後もアルフレッド・ブレンデルやグレン・グールドのCDを「何故か」買っている。別に強い動機があったわけではないのに、頻繁にバッハの音楽を聴き、CDを異常な割合で買っているのである、今振り返ってみると。

でも、実はそれらのCDのバッハにはあまり感銘を受けなかった。バボラークのCD以外はあんまり聴いてない。

その頃、オーディオ評論家のY氏が絶賛している、リンレコードからリリースされたダンディン・コンソートによるヘンデルのメサイアのSACDを聴いた。確かに素晴らしい録音のディスクだが、悲しいかな私のシステムでは彼の言うような広大な音場は現れなかった。このCDも非常に再生のハードルの高いディスクなのであった。でも、そうか、古楽器だ、という認識が生まれた。それは、現代楽器の音の鋭さ、そして、ピリオド楽器風演奏への拒否感とリンクしていた。そして、先日、ボンのベートーベンハウスで至近距離で、最高の条件で、一流の奏者による室内楽を聴いたにもかかわらず、結局本質的な「音」の部分での違和感は解消されなかったことが、古楽器を聴いてみたいというそのときの発言につながっていたのだ・・・・。

心に思うことが、それを実現させる最低条件だと言われる。しかし・・・実は心に思った瞬間にもう実現に向けてのレールができてしまっているのではないかと思うことがある。

このことはまさにそうだった。先々週、Mehl-Muelhens-Rennenの日に競馬場にてある方々との出会いがあり、古楽器によるバロック以前の音楽を演奏する活動、もちろんそれは教会音楽と不可分なものだが、が活発に行われていることを知った。古楽への扉は突然、開かれたのである。

昨日、その方々とともに、ケルンSt. Maria im Kapitol教会で行われた、Bach Verein Köln (ケルンバッハ協会)主催の古楽器による「聖母マリアの夕べの祈り」の演奏会に行った。バロック以前の音楽にまったく関心が無かったのにもかかわらず、モンテヴェルディという作曲家および「聖母マリアの夕べの祈り」という曲については、名前と時代ぐらいは知っていた。つまり、メジャーな曲ということになる。古楽への橋渡しと言う意味では最適だろう。

ケルンSt. Maria im Kapitol教会はローマ時代に建てられ11世紀にはもう今の形になっていたという、非常に古いロマネスク様式の教会である。十字架型の聖堂の中央にステージが置かれ、3方向に観客席が伸びていた。

コンサートはあっという間に終わった。100分もあったとは信じられない。モンテヴェルディはこの曲を書く以前は大衆音楽を書いていたそうだが、それが良くわかった。わかりやすい旋律に豪華な合唱、変化に富んだ構成に「エコー」などの仕掛け・・・・これが400年も前に存在していたというのは驚きである。実際、どこかで聞いた旋律がたくさんあった。生きている音楽だった。

古楽器の音は現代楽器より柔らかく、自然な音がする。人の声と良く調和し、主張しすぎない。このことは、この時代の音楽が、人の声を主としていたことを物語っている。特にZinkというリコーダーと雅楽で使う篳篥(ひちりき)の中間のような音のする管楽器は重要な役割を持っている。この楽器が一番強い音が出せ、人の声に呼応するように使われていた。

ルネサンス期の音楽は「ポリフォニー的」と評される。それの意味するところは言葉ではまったく理解できなかった。今回のコンサートではその意味することを少し感じることができた。教会と言う特殊な「場」における残響と、それを計算に入れた重なり合う旋律により、倍音成分の重なり合いが相乗効果を生み出す・・・おそらく共鳴を利用したもの。やっぱり言葉で説明するのは不可能だ。

でも、なぜ少ししか感じられなかったのかというと、このコンサートには残念な点もいくつかあったからである。一つは会場が特殊で、大きすぎたと思う。私達は演奏を横から聴いていたのだが、やはり人の声は前に出るので独唱者たちの声の直接音があまり聞けなかった。そういうわけで、人の声によるポリフォニーを感じるという意味では限界があった。また、会場が大きすぎることは、古楽器の根源的問題、音量が取れないという問題をクローズアップする結果となっていた。そんなこんなで、合唱ばかりが目立つというアンバランスな状態になっていたのである。もう一つ、マイナーな問題は、椅子がパイプ椅子だったため、そこかしこから椅子のきしみ音が絶え間なく聞こえていたこと。パフォーマンスそのものは私としてはもう手放しで絶賛できるものだっただけに、残念でもあった。

聞くところによると、この演奏でも、もっといいものを聴くと不満に感じる点があるという。とはいえ、今回は大きく広がる古楽の世界の一部を垣間見ることができた、ということで満足している。いろいろと難癖をつけたみたいだけど、本心は素直に感動し、目からうろこが落ちたというにふさわしい演奏会だった!いろいろと情報を得たので、少しづつその世界に足を踏み入れていこう。テキストの理解など、その真髄を理解するのにはまだまだ先のことだろうが、それはたぶん向こうからやってくると思う。

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Comments

教会と不可分の芸術の反響は
地上に舞い降りた天使の讃美crown

今後の、ドイツでの鑑賞ライフも、
祝福されますようにmusic

Posted by: | June 05, 2008 at 01:39 PM

おお、コメントありがとうございます!
その通りでした・・・新たな一面が開かれた
感じがしました。なんといいますか・・・・・
自然な音楽でした。場と調和していましたね。

Posted by: かずやん | June 07, 2008 at 03:13 PM

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Tracked on June 04, 2008 at 11:41 AM

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