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August 25, 2007

ヴァンスカの第九

出不精を押して演奏会にも行き、小遣いをやりくりしてはCDを買っている。そんな中で安物の装置に対する不満が出てきている。悩ましい。が、金はない。どうやら、満足度ゼロ地帯融合の深淵に落ち込んでしまったようである。Stereoplay誌を眺めながらため息をつく日々。

先日、妙にベートーベンの第九が聞きたくなり、いろいろと調べて、最近BISがリリースしているオスモ・ヴァンスカ/ミネソタ・オーケストラのシリーズの新録を買った。

昔良く聞いていたのはアバド/ウィーンフィルの録音で、ある意味、その頃のオーソドックスな演奏であった。あまり面白くないという人もいるかもしれない。そのCDは元日の雑踏の中でポータブルCDプレーヤーと共に失われ(バックパックのチャックが空いていた)、ついに戻ることはなかった。それ以来、第九のCDを買うことはなかったのである。

ヴァンスカの録音を聞いた。たまげた。いや、昔聞いていたものを聞きたかったという意味では大いに失望したのである。まるっきり違う曲に聞こえるぐらい、20年の歳月は第九の解釈・演奏方式を変えていたのだ。誤解のないようにここで言っておくが、ヴァンスカの演奏は素晴らしい。何度か聞いて慣れると、それはそれで認めざるを得ないのである。ただ、違っていたのだ。

これが、ピリオド楽器風演奏の極致か!と得心した次第で・・・。先日サイモン・ラトル/ベルリンフィルがケルンフィルハーモニーで「運命」をやったときにもその違和感を感じたが、これほどではなかった。

非常に速いテンポ。ビシバシと音を切る。ダイナミックレンジを重視し、小さなフレーズの中でも音量を上げ下げする(合唱も含めて)。ビブラートなどのいらない音はつけない。音楽に浸ることを許さない厳しさ。これが、本来のベートーベンなのかもしれない。しかし、これは私の聞きたかったものではなかったことは、はっきりしている。アバドの流れるような演奏とは対極だ。

瞬間的な音量を求めるあまり、弦は悲鳴を上げる。この悲鳴が私は嫌いだ。ラトルや五嶋みどりの演奏でも同じものを感じた。みんな、それが好きなんだろうか・・・。

さて、このSACDをオーディオ的に評価すると、素晴らしいと手放しにほめることができる。清浄で広大な空間があり、音像が立ちすぎることもなく、生のオーケストラを特等席で聞く感じが再現できている。ダイナミックレンジも天井知らず。多少、音場に人工的なものを感じなくもないが、もっといい装置で聞かないとそれはわからない。

家の装置ではこのSACDの真価は再現できない。特に合唱、人の声のオーディオに対する凶悪さを見せつけられた。オーケストラだけなら何とかカンとか耐えていたが、合唱が絡んでくると、もう、「ダメです~」といった感じでコップから水があふれるように音が飽和して、ゴチャゴチャとしたミックスになってしまう。これは、文字通り装置のスケールの問題(コップの容量の問題)で、小手先でどうこうなるものではない。大きなマスが欲しい・・・。

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